脚本・監督:岨手由貴子
原作:山内マリコ
音楽:渡辺琢磨
撮影:佐々木靖之
出演:門脇麦(榛原華子)、水原希子(時岡美紀)、高良健吾(青木幸一郎)、石橋静河(相良逸子)、山下リオ(平田里英)、佐戸井けん太(榛原宗郎)、篠原ゆき子(榛原麻友子)、石橋けい(岡上香津子)、山中崇(岡上真)、高橋ひとみ(青木知子)、津嘉山正種(青木幸太郎)、銀粉蝶(榛原京子)
都会に生まれ、結婚こそが幸せという価値観を抱く20代後半の榛原華子(門脇麦)は、結婚を意識していた恋人に振られてしまう。名門女子校時代の同級生たちの結婚や出産を知って焦る彼女は相手探しに奔走し、良家出身で容姿端麗な弁護士・青木との結婚が決まる。一方の時岡美紀(水原希子)は富山から上京して慶應大学に進むものの中退、働いていてもやりがいを感じられず、恋人もおらず、東京で暮らす理由を見いだせずにいた。全く異なる生き方をしていた2人の人生が、思わぬ形で交わっていく。
昨今、増えつつある”分断・格差もの?”といった先入観は見事に打ち砕かれた。なんと心地好く清々しい作品だろう!観終わった後に爽やかな春風が吹き抜けていくようだ♪人々を分断する目に見えない境界線。冒頭の場面が印象深い。境界線の上を榛原華子はタクシーの中から横移動スクロールで都心を進む。時岡美紀は別な線上を自転車に乗って疾走する。互いに平行横移動していた2人の線は、ある人物を通して交差して行く…。
交わる角度は思いのほか緩やかだった。起点となる人物を自らの線上へ引っ張るでもなく、弾き出しもしない。衝突も起こらない。ただし、交わった先の線は邂逅後、自由に羽ばたきつつ伸びて行く。
「原作に描かれていた繊細な、決して単純ではないシスターフッドの形に触れることはできたんじゃないかなと。作品が完成した今、そんな手応えは感じています」岨手由貴子監督は語っている。敢えて定義付けをするならば本作は”シスターフッド”映画と呼べるかもしれない。全く異なる成育歴と価値観を持つ女同士の緩やかな連帯。岨手監督は、山内マリコの原作をエッセンスを抽出し、見事に可視化してみせた。
山内マリコといえば、「ここは退屈迎えに来て」「アズミ・ハルコは行方不明」など小説が次々と映像化されている。2008年には「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞した作家だ。
「アズミ・ハルコは行方不明」では、三世代の女子たちの生態を活写し、「ここは退屈迎えに来て」の地方都市を毛嫌いしながらも日常を送る女子を連作形式で描いていた。「ここは退屈迎えに来て」の舞台でもあり、本作では時岡美紀の実家である富山県という土地柄が絶妙だ。進路や就職で上京を選ぶには相当なエネルギーを要す土地。美紀の弟は改造車を乗り回す典型的な”ロードサイド”住民。同窓会に出れば、地元就職の同級既婚男がホテルに誘ってくる。
卑近な例で恐縮ながら、先祖代々が千代田区に生まれ育った身には、正直いって美紀の息苦しさは分からない。が、華子ほどの箱入りお嬢さまではないものの、とある「お化粧室」に恐れおののき飛び出る場面には共感しきりだった(←必見の名場面!)。初等科から一緒の友だちと集う華子に、幼稚園以来ずっと学窓を共にした同級生たちと毎月クラス会を開いていた自分の交遊スタイルと似たものを感じた。とはいえ、美紀のような異文化の人たちと交わっても決して対峙せず、新たな世界の扉を開け、”緩やかな連帯”を結んできた自負はある。
ところで、主演の2女優も好演だが、華子に唯一影響を与える同級生、ヴァイオリニストとして自立した価値観を持つ相楽逸子役の石橋静河。「現実と上手く折り合いなさいよ」と諭す華子の姉に扮した石橋けい。この2人の演技は絶品であった。脇の域を超え、役に生命を吹き込んだ演者と、長編2作目にして円熟と新鮮な視点を併せ持つ岨手監督の映画話法に拍手を送りたい。
(大瀧幸恵)
2021年製作/124分/G/日本
配給:東京テアトル、バンダイナムコアーツ
(C)山内マリコ/集英社・「あのこは貴族」製作委員会
公式サイト:https://anokohakizoku-movie.com/
★2021年2月26日(金)より、全国公開
この記事へのコメント