SLEEP マックス・リヒターからの招待状 / 原題:Max Richter’s Sleep

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監督:ナタリー・ジョンズ『I AM THALENTE アイ・アム・タレント』『モリッシー:Istanbul』『サム・スミスFeat. ジョン・レジェンド: Lay Me Down - Red Nose Day』『ロッド・スチュアート:Please』
撮影:エリーシャ・クリスチャン
出演:マックス・リヒター、ユリア・マール、(ソプラノ)グレイス・デイヴィッドソン、(チェロ)エミリー・ブラウサ、クラリス・ジェンセン、(ヴィオラ)イザベル・ヘイゲン、(ヴァイオリン)ベン・ラッセル、アンドリュー・トール

2018年7月、ロサンゼルス。深夜の総合芸術施設グランド・パークに、ポストクラシカルの旗手で映画音楽などの作曲でも知られる音楽家マックス・リヒターが、眠りをテーマとした8時間以上におよぶコンサートを開くためにやってくる。リヒターや演奏者たちが入念な準備を終えると観客たちが入場し、寝袋を出したり、毛布を広げたりして開演に備える。そして幕が上がり、リヒターが脳科学者デイヴィッド・イーグルマンの協力を得て作曲した睡眠のための曲「SLEEP」が演奏される。

マックス・リヒター
作曲家/ミュージシャン。1966年にドイツのハーメルンで生まれてイギリスで育つ。エディンバラ大学と英国王立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、イタリアで現代音楽の巨匠、ルチアーノ・ベリオに師事し、2002年にアルバム『メモリーハウス』でデビュー。クラシックとエレクトロニック・ミュージックを融合させた「ポスト・クラシカル」を代表する作曲家として注目を集める。オリジナル作品以外にも映画やテレビのサントラを数多く手掛け、『戦場でワルツを』(2008年)がヨーロッパ映画賞作曲賞。『メアリーとエリザベス ふたりの女王』(2018年)がハリウッド音楽メディア賞作曲賞を受賞したほか、『アド・アストラ』(2019年)がグラミー賞最優秀スコア・サウンドトラック賞にノミネートされた。また『メッセージ』(2016年)のテーマ曲に使用された「オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト」が、日本ではiTunesのクラシック・チャートで第1位を獲得した。


宵闇迫るロサンゼルス、グランドパーク。満月が照らす野外ライヴ会場に集う聴衆たちは予約席ならぬ予約ベッドに寝具を広げ始める。「これは8時間の子守唄です」リヒターは聴衆に語りかける。今から8時間、寝てもいいし、動き回ったり何をするのも自由。但し携帯電話の電源だけは切って...。
未曾有の8時間続くコンサートを体験しようとする聴衆たち。その記録ドキュメンタリー映画を観る観客にとっても、特別な時間が始まるのだ。殆どの聴衆は寝ているように見える中、リヒターが静かにピアノ曲を奏でる。弦楽器の重奏低音が響き出す。満月の下、間接的な空間に身を置いているにも関わらず、全てを委ねたい気持ち、母の胎内にいるような心地好さを感じるのが不思議だ。

その感覚は、リヒターが「スリープ」を着想するきっかけとあながち離れてはいなかったようだ。リヒターは従前から睡眠が人間にどのような影響を与えているか、起きている時との認知機能の違いについて興味があった、と語る。脳神経科学者の言葉が興味深い。
「脳波は調和を繰り返す。通常は860億個の脳神経細胞が個別に活動しているが、 睡眠中は組織立って活動する。だから穏やか」なのだそうだ。
音と心の繋がりや結びつきを信じるリヒターは、「スリープ」をクラシック愛好者向けに作っていない。 平易な音楽話法を採った。クラシック界では顰蹙をかっているかな?と笑う。
リヒターの野心的な試みを理解し、寄り添うような作風に徹したナタリー・ジョンズ監督は、U2のボノやサム・スミスなど多くのミュージシャンと仕事をしてきた実績がある。「スリープ」では200ページ以上の楽譜を演奏する奏者たち。長時間の集中には身体の痛みが伴い、弦楽器は音量を抑えるので辛い、手指を動かす奏者のインサート・ショットを挟むなど、映画が単調に陥るのを救っている。

「スリープ」発表以降、250件の問合せがあったうち、実行に至ったのは18件だという。アントワープの聖母大聖堂やアムステルダム・コンセルトヘボウ大ホールなどで開催されたが、野外会場はこのグランドパークが初。BGMではない木々のさやぎ、空気が共振する音、自然と一体になり、心地好い揺らぎに包まれるようだ。映画でさえ、ここまで伝播するのだから、実際に体験した臨場感は如何ほどのものだろう。

自身の休憩中、聴衆を見て回るリヒターは楽し気だ。「ヨガをしたり、歩き回る人もいて本当にそれぞれの形で過ごしていますね」
7時間を境に、楽曲は低周波から高周波に遷移して行く。透明なアリアが周囲を包み、人々は寝たり起きたり、現実と夢うつつを繰り返し、寄せては返す波のようだ。フィナーレを終えても鳴り止まない拍手。
「体内が解され、雲の上に浮かんでいる感覚」
「音楽教師をしています。生徒から第二のリヒターが生まれるかもしれませんね」...口々に感想を語る聴衆たち。誕生からやり直す感覚と説明していたリヒターの精神を再生する音楽家が生まれる瞬間を想像し、「スリープ」の連なりが歩み始めていることを感じた。
(大瀧幸恵)


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2019年/イギリス/英語/99分/シネスコサイズ/(映倫G)
配給:アット エンタテインメント
©2018 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin All Rights Reserved
公式サイト:https://max-sleep.com/
★2021年3月26日(金)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷・有楽町ほか全国公開

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