監督:大島渚
脚本:大島渚
製作代表:アナトール・ドーマン
製作:若松孝二
撮影:伊東英男
音楽:三木稔
美術:戸田重昌
助監督:崔洋一
出演:藤竜也、松田英子、中島葵、芹明香、阿部マリ子、松井康子、殿山泰司
戦争の影が色濃く落ちる昭和11年。東京中野の料亭吉田屋では主人、石田吉蔵(藤竜也)と住み込み女中の阿部定(松田英子)が激しく愛し合っていた。2人はついに駆け落ちを果たすが、その愛は退廃へと続いていた。
先週、ご紹介した『SNS–少女たちの10日間–』では、皮肉にも日本の映倫規準に救われたが、本作に限っては例のボカシがもどかしく感じられた。人間の自然な性の営み、そこには性的搾取や背徳めいたものはない。昭和11年。東京・中野の料亭「吉田屋」を舞台に起きた阿部定事件を監督の大島渚は、想像力の松明を掲げ、実話をフィクションの高みへと飛翔させたのだ。映画固有の始原の力を躍動させる本作に〝 修正〝を施す余地があろうか。
身体と性愛の極限を描いた本作は、日本初のハードコア・ポルノとして1976年公開当時、センセーショナルな話題を呼び、物議をかもした。45年を経た今でも、独創的で強烈な表現は少しも陳腐化することはない。
投資家やコンプライアンス規準に忖度するような気配など微塵も見せず、映画表現の極北に立ち続けている。邦画史の時空間に一席しかない位置に在るのだ。
時代背景の説明は最小限に留めた点も大島の意図するところだろう。憲兵隊が行進する脇を女物肌襦袢を着て疾走する吉蔵。軍靴高鳴る時勢の中、昼夜を問わずひたすら交わり続ける男女。題名の「コリーダ」はスペイン語で闘牛を意味する。赤い的に突進する雄牛のように、脇目も振らず熱中する性愛の描写は寧ろ潔い。湿気を帯びた気怠げな空気が張り付く室内で雄弁な肉体が踊り、映画とのフィジカルな共振を奏でて行く。
定に扮する松田英子、女将トク役の中島葵(森雅之の娘)、老乞食の殿山泰司、製作に加わった若松孝二、全て故人である。逝った人々の掛け替えのない美しさ、覚悟の深さに想いを馳せる時、自主規制やコンプライアンスに縛られた今の邦画界では、本作を凌駕する作品は現れないだろう。寂寥と喪失感に襲われた。
(大瀧幸恵)
1976年製作/108分/R18+/日本・フランス合作/ビスタサイズ/モノラル/日本語
配給・宣伝:アンプラグド
日本初公開:1976年10月16日
協力:大島渚プロダクション 配給:アンプラグド
©大島渚プロダクション
公式サイト:https://oshima2021.com/
★2021年4月30日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
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