ファーザー (原題:THE FATHER)

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監督:フロリアン・ゼレール
脚本:クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール
撮影:ベン・スミサール
編集:ヨルゴス・ランプリノス
美術:ピーター・フランシス
出演:アンソニー:アンソニー・ホプキンス、アン:オリヴィア・コールマン、男:マーク・ゲイティス、ローラ:イモージェン・プーツ、ポール:ルーファス・シーウェル、女:オリヴィア・ウィリアムズ

ロンドンで独りで暮らす81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、少しずつ記憶が曖昧になってきていたが、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が頼んだ介護人を断る。そんな折、アンが新しい恋人とパリで暮らすと言い出して彼はぼう然とする。だがさらに、アンと結婚して10年になるという見知らぬ男がアンソニーの自宅に突然現れたことで、彼の混乱は深まる。

「脚本がフランス語だった時から、なぜか私には英国のストーリーに思えました。だから英語への翻訳は、より英国風にするためではなく、実力派揃いの英国の俳優たちに納得して演じてもらうためでした。おかげでアンソニーを始めとする名優たちに出演してもらえました」
監督のフロリアン・ゼレールは語る。仏舞台劇の映画版を英語言語に置き換えた選択は大成功だった。戯曲を英語に翻訳した立役者、共同脚本のポルトガル人クリストファー・ハンプトンが紡ぐ台詞は、いたって平易な生活用語だ。暗黙知に基いた特有のシアトリカル臭は感じられない。舞台言語を滑らかな映画言語に差し替え、”世界一俳優の層が厚い国”の演者陣が奏でる時、観客はそれを俳優の台詞ではなく、実在する人間の体内から発せられた言葉と認識するだろう。

老いと認知症、家族や周囲との相剋といった普遍的な主題を持つ本作は、暗く重苦しい映画ではない。主人公アンソニーが揺蕩う日常、明晰な言葉、歯切れの良い口跡、知性と尊厳を示す青い瞳、赫灼とした佇まい。時に「私はダンサーだった」とのたまい、タップまで踏んでしまう。
「楽しくて魅力的な方ですね!」
新しい介護人がウケれば、
「そうして愚かに笑うところは下の娘に似ている」
と諧謔的な皮肉を放つ。
かように複雑な人物像を”演じている”と感じる暇さえ与えず、目の前でアンソニー(役名、実年齢とも同じ)その人が生きているとしか思えない造形ぶりを構築したホプキンスの仕事は奇跡のようだ。

アンソニーが過ごす日常の何処までが現実で、何処からが認知の歪みを来たしているのか?”娘”と呼ぶ人物は何人いるのか?アンソニーの暮らすフラットは不意に現れる男の持ち主なのか?娘の夫と称する男は誰??観客は映画から次々と質される。サスペンスフルなドラマの興趣は尽きることがない。
捻れた時空、分裂する迷宮、自己崩壊·····。アンソニーの混乱を観客も追体験することになる。

いかにもロンドンらしい通りを足早に歩き、階段を駆け上がる娘。
「アンジェラ(介護人)に何をしたの?!ビッチと言われたって泣いて電話してきたのよ」
「辞めさせて当然だ。泥棒だからな。腕時計を盗んだ」
「どうするの?これで3人目よ!」
世界のどこにでも交わされていそうな親子のやり取りだ。アンソニーの腕時計は蓋然性を象徴する。それを常に誰かに奪われていくと感じる認知。自身の手首に触れ、蓋然性を確かめようとする仕草を哀れと感じるか、収奪の罪を被せる悪辣な老人と受け取るか·····。

平易な台詞に多くの含意を潜在させた脚本の力は凄い。アンソニーの脳内を通り越し、フラットを、ロンドンの街まで響き渡るビゼーのアリア「耳に残るは君の歌声」。透明なテノールが典雅なイメージと重なり、エンディングに深い余韻を残す。
オリヴィア・コールマン、オリヴィア・ウィリアムズ、イモージェン・プーツら女優陣が母性を感じさせるタイプだと気付いた時、ラストとのシンクロに思い至り、キャスティングの妙に唸った。
(大瀧幸恵)


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2020/イギリス・フランス/英語/97分/カラー/スコープ/5.1ch/
配給:ショウゲート/宣伝:ロングライド
© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION
TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020
公式サイト:http://thefather.jp
★2021年5月14日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー

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