監督:ドミニク・クック
脚本:トム・オコナー
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、メラーブ・ニニッゼ、レイチェル・ブロズナハン、ジェシー・バックリー、アンガス・ライト、ジェリコ・イヴァネク、キリル・ピロゴフ、アントン・レッサー、ヴェラ:マリア・ミロノワ、ウラジミール・チュプリコフ
1962年10月。ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが明るみになり、対立状態にあったアメリカとソ連は衝突寸前に陥る。このキューバ危機を回避するために、アメリカ中央情報局CIAとイギリス情報局秘密情報部MI6はスパイの経験など皆無だったイギリス人セールスマンのグレヴィル・ウィンにある諜報(ちょうほう)活動を依頼する。それはモスクワに飛びソ連軍参謀本部情報総局GRUの高官と接触を重ね、彼から得た機密情報を西側に持ち帰るというものだった。
英国スパイ映画というと、冷酷無比、騙し、裏切りの頭脳戦、死の匂いが立ち込めたノワール的なイメージがあった。が、本作は全く性質を異にした実話スパイ映画だ。市井の平凡な男が、米ソ間の情報運び屋となり、ソ連側の男との熱い友情を交わし、男のために自ら危険に飛び込む。これほどヒューマンなスパイ映画があっただろうか!終盤は涙が止めどなく溢れ、エンドロールが消えるまで身動きすらできない感動を覚えた。
1960年代初頭のキューバ危機を肌で体験していない者にとっては、米国映画『13 デイズ』や、関連書物を読んで知る程度。JFK、フルシチョフといったプレイヤーが登場する“歴史上の事件”でしかなかった。本作では、トム・オコナーの精緻な脚本と監督ドミニク・クックによる抑制的な演出話法、ベネディクト・カンバーバッチが身を挺した名演によって、“人類滅亡の危機”が眼前で起きているような血潮漲る熱いドラマとなって迫ってきた。
冒頭、フルシチョフ書記長のアジ演説も、MI6とも無縁な世界に棲むセールスマンのウィンがのんびりと接待ゴルフに興じる場面から引きつけられる。扮するカンバーバッチは全く肩に力の入っていない演技なのだ。この後、運命の奔流に飲み込まれて行く男とは思えない。
終盤で見せる肉体改造は、デニーロ・アプローチどころではない。心情や細胞の一つ一つまで、実在のグレヴィル・ウィンが憑依しているかに見える。
圧倒される演技は、カンバーバッチだけではない。ウィンと接触するソ連軍参謀本部情報総局オレグ・ペンコフスキー大佐役のメラーブ・ニニッゼ。感情を抑えながら、目の光で訴えかける。同僚はもちろん家族にさえ打ち明けられない重い決意をウィンにだけは明かす。信頼できる友人を持った喜びと安堵の表情。役への造形ぶりは驚異的だ。
「僕たちのような人間から世界を変えよう」
1度だけの任務と思ったウィンが覚悟を決めたのは、ペンコフスキーと出会ったから…。観客にそう納得させる説得力を持つ俳優だ。
市井のまともな感情を持つウィンにとっては、ペンコフスキーや自身を平気で見捨てようとするMI6が許せなかった。それにしても、なんらスパイ教育・訓練も受けていない市民を引き摺り込んでおいて、平然と「プロは利用するものだ」と言い切る英国側の姿勢は理解し難い。
「彼は僕を見捨てない。もう一度モスクワへ行く」
と危険を顧みなかったウィン、そしてペンコフスキーが、結局「人類滅亡の危機」から、私たちを救ったのだ。
このような実話は、英国民以外には殆ど知られなかったのではないだろうか。発掘し、映画化への情熱を燃やした脚本家トム・オコナー。怜悧な色調と、終盤の暗闇に支配された絶望の世界から、映像が持つ喚起力を実感させてくれたクック監督。2人の演者に平伏したくなる。今秋1番の力作にして秀作。見逃す手はない。
(大瀧幸恵)
2021 年|イギリス・アメリカ合作|英語、ロシア語|カラー|スコープサイズ|5.1ch|112 分
提供:フィルムネーション・エンタテインメント/
制作:42 サニーマーチ and フィルムネーション・エンタテインメント
© 2020 IRONBARK, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
■配給:キノフィルムズ 提供:木下グループ
公式サイト:https://www.courier-movie.jp
★2021年9月23日(木・祝)より、TOHO シネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
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