監督:今泉力哉
原作:窪美澄『水やりはいつも深夜だけど』(角川文庫刊)所収「かそけきサンカヨウ」
脚本:澤井香織 今泉力哉
音楽:ゲイリー芦屋
出演:志田彩良 / 井浦 新、 鈴鹿央士 中井友望 鎌田らい樹 遠藤雄斗 石川 恋 鈴木 咲 古屋隆太 芹澤興人、海沼未羽 鷺坂陽菜 和宥 辻 凪子 佐藤凛月、菊池亜希子 / 梅沢昌代 西田尚美 / 石田ひかり
高校生の陽(志田彩良)は、幼い頃に母・佐千代(石田ひかり)が家を出て、父・直(井浦新)とふたり暮らしをしていたが、ふたり暮らしは終わりを告げ、父の再婚相手である美子(菊池亜希子)とその連れ子の4歳のひなたと4人家族の新たな暮らしが始まった。そんな新しい暮らしへの戸惑いを、陽と同じ美術部に所属する陸(鈴鹿央士)に打ち明ける。実の母・佐千代への想いを募らせていた陽は、絵描きである佐千代の個展に陸と一緒に行く約束をする。
これほど嫋やかで静謐な雰囲気に満ちた思春期映画を久々に観たような気がする。登場人物の透明感は台湾の楊徳昌を、対象との距離の置き方は同じく台湾の侯孝賢を想起させた。開くごとに透明度を増す花”サンカヨウ”を象徴した作品内容である。儚げで朝露を湛えた花弁、静かに揺蕩うサンカヨウ。アップにしても引いた映像でも、その存在態様は本作に底流し続けている。何処か寂しげ、哀しさを秘めながら控えめに咲く佇まい。決して声高に主張しない。
恋愛映画や身近な題材を扱う今泉力哉監督が、丁寧且つ静謐な表現に徹し、鑑賞後感は爽快感に包まれる。小津安二郎、成瀬巳喜男を継承する邦画の佳編が生まれた悦びに浸った。
今泉監督作の『パンとバスと2度目のハツコイ』『mellow』に続き、3作目にして主演に抜擢された志田彩良、『蜜蜂と遠雷』でデビュー後、様々な映画やドラマに出演している鈴鹿央士の若い2人が素晴らしい。思春期映画に特有の汗や熱量を感じさせない。あくまでも静謐な表現が愛おしさを感じさせるのだ。有り体の”男子の生理的欲求”の強調や、”女子の恋バナ花盛り”的展開に違和感を持っていた者には、ホッとする描出である。密やかに生息する高校生だって、映画という日常に似合うはずだ。
冒頭、喫茶店で駄弁っている高校生男女。セーラー服と詰襟の制服が清々しい。鈴鹿央士が問いかける。「自分の中で一番古い記憶って何?」「えぇ〜、私はね」語りだす男女5人。「 先に帰るね」と家事をこなす役割の陽(志田彩良)が立ち上がる。旧い造りの台所で水餃子を作る陽。お湯の中で透明になっていく餃子を見ながら、母におぶわれた記憶が甦る。木漏れ日の林、母からサンカヨウという透明になる花を教えて貰う。ハッとする陽の表情と花に寄った画面でタイトル。
かそけきは、漢字で「幽けき」と書く。「今にも消えてしまいそうなほど薄い、淡い、または仄かな様子を表す古語で、現代でも雅な表現として用いられることがある」と辞書には書かれていた。陽が陸(鈴鹿央士)に抱く淡い想い。美術部に属する2人を照らす優しい光。最も表情を観たい場面で、今泉監督は逆光を選択し、主人公の感情を抑えさせた。見事な「幽けき」感情表現である。
井浦新扮する陽の父が抱える娘への愛と再婚家族への気遣い。静かな生活の中に波立つ出来事。淡々とした日常描写が続く故に、襲来した事件は重く響く。陽と陸、そして家族の関係性は波が鎮まるように収まりを迎える。
ひとつだけ、陽と陸の同級生を通し、社会間格差を明示した演出にはハッとさせられた。この逸話がなければ、小津や成瀬の焼き直しになったであろう。現代感覚を持ち込んだ今泉監督の力量が光る場面だ。
爽やかで落ち着いた気持ちにさせてくれる得難い名編である。
(大瀧幸恵)
2021年製作/115分/日本
配給:イオンエンターテイメント
©2020 映画「かそけきサンカヨウ」製作委員会
公式サイト:https://kasokeki-movie.com/
★2021年10月15日(金)より、テアトル新宿ほか、全国公開
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