監督:松浦弥太郎
朗読:小林賢太郎
主題歌:アン・サリー「あたらしい朝」
監督補:山若マサヤ
撮影:七咲友梨
アメリカ・サンフランシスコの24時間ダイナーで、一組のカップルが政治の話をしている。スリランカのシギリアでは僧侶が寺院の掃除をし、フランスのマルセイユでは漁師が朝霧の中を船で沖に出ようとしている。オーストラリア・メルボルンのカフェでは夜勤明けの警察官がコーヒーを飲み、台湾・台北のフィッシュマーケットには料理人たちが魚を見定めるために集まっていた。
本作は当初「本の映画」として企画された。監督の松浦弥太郎氏が文筆家・書店オーナー・「暮しの手帖」の元編集長、その他多くの著書を書いてきた人だからだ。卑近な例で恐縮だが、松浦氏は私へ「暮しの手帖」に連載記事を書く機会を齎してくれた人、そして亡き姉の大切な友人でもあった。姉は「暮しの手帖」の映画コラム連載を絶筆として旅立った·····。若き日、旅好きな自分に書くことを勧めたのが姉だった。今の自分があるのはお姉さまのおかげ、と松浦氏から聞いたことがある。
「『コヤニスカッティ』のような映画を」という松浦氏の提案から、地球を約 1.3周分廻る旅のドキュメンタリーが仕上がった。米国風土をひたすら美麗な映像でまとめた『コヤニスカッティ』より、本作はよほど人間味に溢れている。
氏の平たく丁寧な文体、一人旅の想い出を綴った集大成の作品は、見知らぬ異国で夜更けと早朝の街の表情を、人々の営みを見つめた、旅情豊かな映像に彩られていた。凝ったアングルも狙ったショットもない。ひたすら旅人の視点から、素朴な言葉でスケッチしていくのだ。
観光名所を巡るわけではない。何の変哲もない街の路地裏や広場、港、原っぱなどを気の赴くまま、旅人の”生理”に寄り添う如く映し撮っていくカメラと編集が素晴らしい。観ている側の歩調にも合っているかのような心地好いリズム。映像が邪魔になっていないのだ。
思いの外、”食”の場面が多い。名もない小さな店にやってくる地元の人々。家族で、仕事仲間と、常連さんたちと店の味を楽しみつつ、酒を酌み交わす。カウンターで数時間も寝ているおじさんがいれば、慌ただしくドーナツを食べて仕事に出かける人もいる。
米サンフランシスコ、カストロストリートにあるダイナーは24時間営業。ここを「我が家」と呼ぶ常連客もいる。エリックは夜が来るとドラァグクイーンのヴァネッサに変身する。早朝、サーファーたちが美しい朝焼けを背にしている。海が夜霧に覆われるまで1日の終わりを眺める人々。
文化圏の異る国スリランカのシギリア。聖地であるピドゥランガラ寺院では、朝の5時を迎えると 動物鳥のざわめきが聞こえる。 少年僧侶には名前がない 。信者からのココナッツミルクを手に、少年僧侶は丘の上の仏像へと向かう。白髭のファーマーが 薬草を擦り潰し、象を追い払う悪魔祓いの儀式を始める。
ボートで朝食を食べに出かけると、家庭料理を安く提供する家族経営の店に出会う。
マルセイユは仏で最も古い港町だ。漁船に同乗させてもらう。「僕も漁師になれるかな?」 「いい漁師は働き者だよ」と言うベテラン漁師の分厚く厳ついた手。
夏のマルセイユのバーは夜も明るい。夜毎、踊る女の子たちの会話と動きをカメラが追う。ここでの映像は人工ネオンに彩られ、グラマラスに輝く。
台湾・台北の人々はよく食べよく飲む。路地の奥に並ぶ新鮮な魚介類、数十本のビール。 市場が立つと深夜も賑やかで屋台は喧騒と活気を醸す。台南伝統の蒸し料理、碗粿(ワーグイ)は海老や椎茸などが入った米粉茶碗蒸し。あてもなく歩いていると、声を掛けられ家に招き入れられた。越してきたクリエイターたちと知り合う。
豪メルボルン。エドワード・ホッパーの絵画にインスパイアされたのか、「ナイトホークス」というバーを見つけた。朝7時開店のカフェから、空が明るくなるのをただ眺める。鳥のタトゥーを入れたタトゥー店の女主人。
ニュージーランドからメルボルンに移り住んだグレンは、20人ほどが暮らす女子アパートの管理人だ。グレンは毎晩、小さな旅に出る。雨の日も風の日も80分のコースをひたすら歩く。「毎晩の散歩には、どんな発見が?」「同じ日はないよ」
予定を決めず、何処へ行くのも自由な旅は、迷ったりトラブルに遭うのも付きものだ。思わぬハプニングさえ旅の魅力。”毎月旅行”を14年以上更新している身には、松浦氏が語る旅に併走したような78分だった。コロナ禍で縮こまった意識を解放するには最適の1本だろう。
(大瀧幸恵)
企画・製作 / 配給:ポルトレ
宣伝:プレイタイム
2021 年 / 日本 / 78 分 / カラー /16:9/DCP
(c)Mercury Inspired Films LLP
公式サイト:https://yataro-itsumo-tabisaki.com/
★2021年10 月 29 日(金)より、渋谷ホワイトシネクイントほか全国順次公開
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