監督:クリスティーナ・リンドストロム & クリスティアン・ペトリ
出演:ビョルン・アンドレセン『べニスに死す』(71) 『ミッドサマー』(19)など、池田理代子、酒井政利
当時15歳だったビョルン・アンドレセンは、1971年にルキノ・ヴィスコンティ監督が手掛けた映画『ベニスに死す』に出演する。映画の公開と同時に脚光を浴びた彼は「世界で一番美しい少年」と賞賛され、作品の日本公開時には来日も果たす。それからおよそ50年の月日が流れ、『ミッドサマー』の老人ダン役として再びスクリーンに登場したアンドレセンの変貌ぶりが話題になる。
「彼の顔は最高峰のギリシャ彫刻のように色白で、優しくもよそよそしさを漂わせており、房になった蜂蜜色の巻き毛、眉からすっと一筋になった高い鼻筋、勝ち誇るような口元、そして純粋で神のような落ち着きをたたえた表情をしていた。姿形がこれだけ完全でありながら、自然であるのか芸術であるのか、だれも見たことがないほど喜ばしく完璧であるというのは、独特な個人の魅力があるがゆえだった。」
トーマス・マン作「ベニスに死す」で、作家が初めてタジオを見た時の描写である。少女だった読者は、加えてふっくらした薔薇色の頰を持つ、自身より年下の少年をイメージして読み進めた。
作家の最期、倒れた自分に少年が駆け寄ってくるラストに衝撃を受けた。トーマス・マンの小説には、美少年、美青年が登場する。その度に想像の翼を羽ばたかせるのが常だった。
ヴィスコンティやベルイマンを神と崇める映画好きの家庭に育った身には、ヴィスコンティが『ベニスに死す』を映画化すると聞いた時には、言葉では表せないほどの喜びと興奮を味わった。
駆けつけた映画館で観たビョルン・アンドレセン、ダーク・ボガードと友人が交わす芸術論、ベニスの光芒、響き渡るマーラーの「5番アダージョ」…。どの場面も鮮烈に焼き付いている。終盤、選ばれし者の恍惚と世界中の光を背負ったタジオが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」のように、天空を指さした海辺。その同じ晩秋の海岸を歩く男の顔には深い皺が刻まれ、白髪と化した髭や髪は伸び放題。瘦せぎすの身体となって漆黒の海を見つめている。
あれから50年経ったのだ。これがビョルン・アンドレセンなのか。近作『ミッドサマー』で見たよりもずっと老け、ともすれば80代の老人にも見える。深い感慨にふけ、涙がこぼれた。アンドレセンは音楽の仕事をしているのか、いないのか分からない。不衛生な居住を指摘され、大家から立退きを迫られている。数十年前に長男が死亡。妻と離婚し、娘とは疎遠である。恋人にも「あんたみたいな年寄りに尽くしたって感謝の言葉もない!他の人と付き合ったっていいでしょ!」と愛想をつかされている。
共同監督のクリスティーナ・リンドストロム、クリスティアン・ペトリは、撮影対象の過酷な現実を炙り出すと同時に、温かく寄り添い、対峙しつつ珠玉のドキュメンタリー映画に昇華させた。作り手のスタンスがこれほど伝わるドキュメンタリーも珍しい。先述した涙は、アンドレセンを哀れんだわけでも、落胆した訳でもない。50年の歳月の中で、聖性を帯びたアンドレセンに再び出逢えたことが嬉しかったのである。
本作の観客には、そうした感慨を持つ人も多かろう。アンドレセンは父を知らない。母は10歳の時に自死した。音楽教育を授けた祖母は、同時にステージマザーとなり、アンドレセンをショービジネスの世界に送り込んでしまった。日本人には忘れもしない、チョコレートのCM、甘いテーマソング…。あの仕事も祖母が勝手に契約したものだという。アンドレセン自身は、当時泊まった帝国ホテルを再訪し、懐かしんでいたが、企画については何も聞かされなかった、と振り返る。
同性愛者であることを公言していたヴィスコンティの下に集まる撮影スタッフは、殆どが同じ性的志向の男たちだった。ヴィスコンティは撮影中は「ビョルンを見ないように」と大人たちから庇護したが、映画の完成後は「坊やを好きにしていいぞ」と放り出してしまった。
ナイトクラブやゲイバーなど、全く知らない世界に連れていかれ、お酒を浴びるほど飲んだ、とアンドレセンは語る。15歳の少年だ。大人たちの身勝手さと、当時の映画界が子役にとって如何に危険で過酷な社会だったことが分かる。
おぞましい記憶を吐露したのも、リンドストロム、ペトリ両監督に寄せる信頼からだろう。
アーティストでボヘミアンだった母の詩を朗読する声を劇伴のように流したり、叙情的で詩篇のようなドキュメンタリーに仕上がっている。映画や原作、ヴィスコンティ、アンドレセン、何れにも思い入れのある方には是非お薦めしたい一作である。
(大瀧幸恵)
製作国:スウェーデン/英語・スウェーデン語・仏語・日本語・伊後/2021/シネスコ/5.1ch デジタル/98 分/映倫 G
後援:スウェーデン大使館
配給:ギャガ
© Mantaray Film AB, Sveriges Television AB, ZDF/ARTE, Jonas Gardell Produktion, 2021
公式サイト:https://gaga.ne.jp/most-beautiful-boy
★2021年12月17日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ他にて全国公開
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