監督・脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン
エグゼクティブ・プロデューサー:ティルダ・スウィントン
音楽:セザール・ロペス
撮影:サヨムプー・ムックディプローム
編集:リー・チャータメーティクン
出演:ジェシカ:ティルダ・スウィントン、エルナン(川のほとりの男):エルキン・ディアス、アグネス:ジャンヌ・バリバール、エルナン(音響スタジオの男):フアン・パブロ・ウレゴ、フアン:ダニエル・ヒメネス・カチョ
地球の核が震えるような、不穏な音が頭の中で轟く―。銃声にも、衝撃音にも聞こえるその音に襲われて以来、ジェシカは不眠症を患うようになる。原因を探り、解決策を見出すべく、音響スタジオや病院を訪れるが、核心には辿り着けない。やがてエルナンという漁師に出会い、彼と記憶について語り合ううちに、ジェシカは今までにない感覚に襲われる。
映画が始まって以降、暫くは無音の場面が続く。無機質な部屋らしき空間は闇に覆われている。何があるのか?何が起こるのか?……観客は息を詰め、目を凝らし、画面に没入せざるを得ない。「バン!」とも「ボン!」ともつかない音にビクッとする人の姿が朧げに浮び上がる。
闇に慣れた眼は、外に並んだ車に気付く。複数の車から警告音が鳴り響く。 光源は車のヘッドライトだけだ。不穏な幕開けである。本作のカメラワークは一部を除いて基本的にフィクス画面であり、15分のワンカット長回しもある。抑制を通り越し、色彩や動きを拒否したような禁欲的な表現志向を受け止めねばなるまい。
静止した画面で想起されるのは、母と息子の「時間」を静謐に映し撮ったアレクサンドル・ソクーロフ監督の『マザー、サン』だ。絵画的構築性をモチーフにしたと思しき『マザー、サン』に対し、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督作品には、『ブンミおじさんの森』同様、東洋の昔話・寓話性が感じられる。日本人にとって懐かしい、湿った空気がそこにあるのだ。
アピチャッポン監督が創出する世界は、粗筋や意味を求めるのではなく、世界観を味わうと認識したほうがいいかもしれない。実際、監督の映像はインスタレーション作品として、テート・モダンやパリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンなどに展示されている。映像作家なのだ。
コロンビアを舞台にした本作は、「音」を探し求めて主人公が彷徨する旅に寄り添う。聞き慣れた英語の他に
「ウィルスの詩を作った。翻訳してくれる?」
と語られるスペイン語は音楽を奏でるように流れる。リリカルで謎めいた作風は直截にものごとを語らない。「音」の記憶を辿りながら、潜在化にある政治的傾向や宗教、社会問題を婉曲に伝える。商業主義映画の極北に立地すると言えよう。
「頭内爆発音症候群」と呼ばれる、冒頭の「バン!」とも「ボン!」ともつかない音。監督自身が経験した症状の原因や意味を求めて主人公が訪ね歩く行程に、観客も歩調を合わすことにせる。音響スタジオで音を再現する場面が印象的だ。殆ど劇伴らしいものが流れない中、ミキサー室で製作中の楽曲の何と馨しいこと!天上の音楽のように聴こえる。
「もっと金属の窪みに落ちたような音。 後から縮む感じ。 エコーがかかり、土っぽい大地のような……、地球の核から響く音」
などと説明するが、自分にしか聞こえない音だけに再現は難しい。
随発する音のせいで「頭がおかしくなりそう」な主人公は、不眠症外来を受診する。医師からは、「標高のせいで血圧が上がり、幻聴が聞こえることも。投薬は依存性の恐れもあり、 共感力が失われる」 と注意喚起をされてしまう。
太陽の塔に似たモニュメントの近くにある川縁を散策し、せせらぎの静寂に浸っていると、また音が聞こえ、うずくまる主人公。心配して声をかけてくれた男と言葉を交わす場面は本作のハイライトだ。ワンカット長回しの禁欲的な映像は、人によっては眠くなるかもしれないし、ある人には魂が浄化された気分になるかもしれない。何処へ着地するか、観客に委ねられたうちに幕を閉じる。
(大瀧幸恵)
2021/コロンビア、タイ、イギリス、メキシコ、フランス、ドイツ、カタール/カラー/スペイン語、英語/136分
後援:駐日コロンビア共和国大使館
配給ファインフィルムズ
©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.
公式サイト:http://www.finefilms.co.jp/memoria/
★2022年3月4日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国にて公開
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