監督・脚本:ラドゥ・ジューデ
ルーマニアのブカレストにある名門校で教師をしているエミと夫のセックス動画がインターネット上で拡散され、彼女の生徒や保護者にも知られてしまう。エミは夜に開かれる保護者会の前に、事情を説明するため校長の家へ向かう。世の中が新型コロナウイルスのパンデミックに怒りや絶望を感じている中、エミは不安や苛立ちを抱えながら街をさまよい歩く。
この邦題で観客を逃すことにならないかと心配だ。題名に反し極めて真っ当な内容、知的刺激を与えてくれる傑作がルーマニアからやってきた!ラドゥ・ジューデ監督、よくぞ作ったと快哉を叫びたい。今年の洋画暫定1位?を予感させる作品をご紹介できる喜びでいっぱいだ。冒頭から褒めちぎったが、題名に抵抗を感じ、遠ざけてしまうには本当に惜しい。プロローグの性描写は、監督自身がオシャレモザイク(?)を施しているため、全く見えない。安心する人もいれば「アンラッキー」とガッカリする観客とに分かれるだろう。
このプロローグが”残念”だった人は、頭を切り替えて楽しんでほしい。監督が表現の自粛を強いる風潮を自虐的に嘲笑い、課せられた検閲作業を嬉々として楽しむ様子が分かるからだ。
「検閲版だよ!」「殺人シーンはOKで、フェラはNGだって?」 「米アカデミー賞に一票!」 「検閲=金」といったツッコミが矢継ぎ早に入り、面白いことこの上ない。映像を隠して加工すればする程、ポップさと可笑しみが増してくる矛盾は、本作の主訴を明確にさせる効果があった。
プロローグの後は、プライベート動画がネット上に流出した女教師が校長に相談すべく、ブカレストの街をひたすら歩く「第一部:一方通行の通り」の始まり。冒頭で夫と睦み合い、過激な性的言動を発していた人と同一人物とは思えない険しい表情のマスク姿だ。そう、本作はマスク装着がスタンダードとなったパンデミック社会を前提とした初の国際長編映画なのだ。
ジューデ監督は首都ブカレストでゲリラ撮影と思しきワンカット長回しを決行している。クラクションを鳴らす車と同様に、行き交う人々は妙にイラつき、ふとした事で暴言の罵りあいになってしまう。女教師の歩みに合わせ、都会の騒音、鐘の音、物売りの掛け声が現れてはかき消されていく。猥雑さが蠢く街には、朽ちた建物が放置されている。コロナ禍により、実施されなかったイベントのポスターや看板は風化するのみ。
カメラはコンクリートを突き破って生えている力強い「ド根性雑草」を見逃さない。この国の最後の足掻きを象徴しているかのようだ。
「第二部:逸話 兆候 奇跡の簡易版辞書」は、AからZまでの言葉をジューデ監督なりに再定義した辞書。これが示唆に富むと同時に、コンプライアンス何処吹く風のブラックジョーク満載の抱腹絶倒もの!
先ずは、8月(August)23日の連合国軍事パレードの報道映像と共に、【軍隊】を辞書で引くと→国民制圧の手段、と定義される。1848年革命、1907年農民一揆、第一次大戦後、少数民族や左翼を抑圧、第二次大戦中は少数民族虐殺、1989年は革命家たちを殺した……という血塗られた歴史が回答される。文字面で書くと長めだが、映像は一瞬。リズム感を損ねず次々に提示される小気味良さだ。
【ルーマニア正教会】は、独裁政権と親しい。1989年、革命家たちが軍から逃げ伸びた時、教会の扉を開けなかった、と解説される。中盤に登場する神父の偽善性は爆笑ものだ!神父のマスクに書かれた言葉にご注意を。笑えます。
【ソーシャルディスタンス】 コロナ禍により、1.5メートルの棒をそれぞれが持つコロナダンス。踊る人々も失笑気味だ。
【先住民】 価値のない人と解説される。入植者には邪魔なので 肥料となり土に還った……。究極のブラックジョーク!
【無意識】 ドイツの精神分析。 患者は右腕が上がらない。物理的に異常はなく、どんな治療でも治らない。医師が「ハイル・ヒトラー」と叫んだ途端、患者の右腕が上がった、という笑い話。
【キリスト】 神の子なのに母の家系も受け継いだ 、と言ったパリ大司教の発言を引用。
【クローズアップ】 パゾリーニが配役について、『ユダヤ教の司祭役にはファシスト的な顔を、 素人役者の多くは共産党役員を配役した』
上記に列挙したのはごく一部である。次々とアイロニーに富んだ含蓄深い言葉が再定義されるので、笑いながらもメモをとる手が忙しかった。
「第三部:実践とほのめかし」
いよいよ、学校の中庭に保護者たちが集まり、女教師の弾劾裁判(としか思えない)集会が始まる。校長は「彼女は優秀な教師」と理解を示し、継続的な方向へ誘おうとするも、集まった保護者は海千山千の強者たち。校長の誘導にもめげず、「先ず全員等しく状況を把握するため、動画を見よう」と言い出す。卑猥な言葉が学校の中庭に響く。手を消毒しながら 覗き込む保護者たち各々の表情が下衆にリアルだ。
女教師は、自分がアップしていないこと、 夫がパソコンを修理に出した、 夫婦間の個人的なプライベート動画である点を主張する。居並ぶ保護者たちは、軍人から、歴史修正主義者、人種差別主義者、偽善的な神父などなど。ちなみに、この神父のマスクにプリントされている文言には卒倒しそうになった!捻りが何重にも渦巻いている。ジューデ監督らしい(笑)。
「子どもの精神状態かかってるから最早プライベートと言えない。悪い影響が出ている。子どもがトラウマになった、結婚が怖いと言っている」と、エキセントリックに詰め寄る母親に、「アダルトサイトを見ない教育は家庭がすべき」と、至極正論を述べる女教師には、「責任転嫁か?このアバズレ!」「子育てに口出ししないで」「問題をすり替えないで!」と矢継ぎ早の反論だ。
流出された女教師は被害者なのに……と思っていると、「本当に夫?愛人じゃないの?旦那さんはもっと太っていたはず」と、とんでもない濡れ衣を着せる始める。「性生活には干渉しないが生徒が見るのは問題。 うちの子は学校で見た。家では監視しているから見ていない」 と学校の責任を突いてくる保護者も。
挙句の果てに「フェラは娼婦がやることだ。そんなことを教えてるのか?」「アナルなど信じられない! 品位を」と説教が始まる。この辺りは宗教的禁忌が関連するのだろう。国によっては違法とされるらしい。
国民的詩人エミネスクも官能的な詩を書いている、と言う女教師に「暗唱して」と求める保護者たち。堂々と暗唱する女教師。過激な表現が用いられた詩句が構内に響き渡る。中庭は魔女裁判の場、保護者たちの欲望を露呈する装置と化してしまう。議論はエスカレートし、ロマ民族や反ユダヤ主義、反同性愛主義といった排外差別主義や憎悪の感情を剥き出しにしながら、”子どものため”という大義名分を盾に襲いかかる。
この収集のつかない事態に、ジューデ監督は3つのマルチエンディングを用意した。3つ目は観客の想像の上を行く結末だ。とてつもない力量と独創性に恐れ入った。それにしても、ルーマニアは本作ほど力強く動的平衡感覚に富んだ作品を生み出すお国柄だ。アレクサンダー・ナナウ監督の『コレクティブ 国家の嘘』のような秀作ドキュメ ンタリーも記憶に新しい。
なぜ、常に政情が不安定で、EUの最貧国という不名誉な称号まで付けられているのか?「国民はその程度に応じた政府しか持ち得ない」 というセオリーは正しいのか?ジューデ監督は諦めにも似た自嘲から本作を製作したのか?ウクライナと国境を接する国である。改革への道筋を願って止まない。
(大瀧幸恵)
2021/ルーマニア、ルクセンブルク、チェコ、クロアチア/ルーマニア語/106 分/シネスコ/5.1ch/R-15
配給:JAIHO
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