監督:白石和彌
脚本:高田亮
原作:櫛木理宇「死刑にいたる病」(ハヤカワ文庫刊)
出演:阿部サダヲ 岡田健史 岩田剛典 / 宮﨑優 鈴木卓爾 佐藤玲 赤ペン瀧川 大下ヒロト 吉澤健 音尾琢真 / 中山美穂
“連続殺人鬼からの依頼は1件の冤罪証明だった―”
理想とは程遠いランクの大学に通い、鬱屈した日々を送る雅也(岡田健史)の元にある日届いた1通の手紙。それは世間を震撼させた稀代の連続殺人事件の犯人・榛村(阿部サダヲ)からのものだった。24件の殺人容疑で逮捕され、そのうちの9件の事件で立件・起訴、死刑判決を受けた榛村は、犯行を行っていた当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もよくそこに通っていた。「罪は認めるが、最後の事件は冤罪だ。犯人は他にいることを証明してほしい」。榛村の願いを聞き入れ、雅也は事件を独自に調べ始める。そこには想像を超える残酷な事件の真相があった――。
白石和彌監督は、不穏な空気、不気味な現実の醸成を映像に反映させるのが抜群に上手い。本作でも、蒼冷たい暗色に支配された映像から、阿部サダヲ扮する死刑囚・棒村大和の、水路と思しき場所で行う儀式のような振る舞いが、闇の中から浮かび上がる場面。儚げで壮麗な絵造りは、観る者を映画 の世界へと一気に引き摺り込んでしまう魔力を持っている。
宇都宮市の周辺で撮影されたという事件の舞台となるロケ地の選び方も秀逸だ。若い学生たちが行き交う駅周辺の繁華街から一歩足を伸ばせば、田園地帯が連なる北関東的な風景が広がる。パン屋である棒村が「燻製小屋」として管理する小さな小屋は辺りからポツンと離れ、犯罪の温床となるにはうってつけだ。
薪ストーブのほの赤い炎と煙が狭い木造小屋に充満し、揺らめく陰影は男の狂気をより効果的に高めている。
本作中、多くの時間を割いているのが、大学生・覚井雅也が棒村から依頼を受けて訪ねる面会室の場面だ。厳密にいえば、死刑囚は外部交通を妨げられており、親族や弁護士以外は接見することは不可能なはずなのだが、フィクションのドラマゆえ、リアリティには目を瞑ろう。或いは、人たらしとも言える棒村が、看守を手懐けて面会時間を延ばさせたように、何らかの意向が働いたのかもしれないが…。
話を戻そう。面会室は舞台劇とも思える、余計なものは何もない漆黒の空間に造形されている。
「久しぶりだね、まぁくん!大人だから雅也くんと呼んだ方がいいのかな?ごめんね」
快活に話しかける棒村。明るい表情、血色の良い健康そうな顔艶が闇の中で輝く。一方、身体を強ばらせ、怯えた暗い表情の雅也。どちらが囚人か分からない程の陰影対比が鮮やかだ。この2人に何があったのか?棒村とは、どういう人物なのか?雅也はどのような成育歴から、若者らしさを奪われたのか?
興味を惹かれる序盤である。原作小説やノンフィクションをベースにした作品作りが多い白石監督ならではの翻案が、本作でも活かされた。世間的には、パン屋のお兄さんと慕われ、近所でも愛想が良く評判の高い人物像は、『凶悪』の“先生”と共通するところがある。北関東を舞台にした点でも、『凶悪』を想起する人は多いだろう。リリー・フランキー、阿部サダヲ。どちらも演技巧者である。本作の阿部サダヲは、失礼ながら原作の“美青年“とはイメージを異にしているものの、誰からも好かれる好人物という設定には説得力あまりある適訳だ。
もう1人、雅也を演じる岡田健史も特筆に値する。青春映画のヒーロー役も十分に務まる程のルックを持ちながら、猫背で打ちひしがれたように歩き、人生を諦めている諦観が全身から漲る名演だ。整った顔立ちの内に秘めた暴力性を自覚する際の瞳の怜悧さと動揺の虚い表現が見事である。
役柄と同じく、阿部サダヲと岡田健史の緊張感に満ちた対決が見どころともいえよう。前述したように、物語の上では幾分の綻びがあるにせよ、白石監督の世界観はブレずに一級品だ。
(大瀧幸恵)
2022年製作/128分/PG12/日本
配給:クロックワークス
©2022映画「死刑にいたる病」製作委員会
公式サイト:https://siy-movie.com
twitter:https://mobile.twitter.com/SIYmovie
★2022年5月6日(金)より、全国公開
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