監督・脚本 :イルディコー・エニェディ
出演:レア・セドゥ:リジー、ハイス・ナバー:ヤコブ、ルイ・ガレル:デダン、セルジオ・ルビーニ、ルナ・ウェドラー
1920年のマルタ共和国。船長のヤコブは、カフェに最初に入ってきた女性と結婚するという賭けを友人とする。そこにリジ―という美しい女性が入ってくる。ヤコブは初対面のリジ―に結婚を申し込む。その週末、二人だけの結婚の儀式を行う。幸せなひと時を過ごしていたが、リジ―の友人デダンの登場によりヤコブは二人の仲を怪しみ嫉妬を覚えるようになる…。
「次に店へ入ってくる女と結婚する」
柔らかな光が射し込むカフェ。貨物船の船長ヤコブは友人に宣言する。...ちょっとしたフェイントがあり、友人は、
「ハハハッ!じゃ、僕は失礼するよ」
去った後、白い服の金髪美女が入ってくる。気付くと女のテーブルに向かっているヤコブ。
「おじゃまかな?」
振り向く美女。
「手短にね」
「妻になってほしい。本気だ」
煙草を吸いながらカラカラと笑う女(リジー)。座ることを許されたヤコブは紅潮した顔で女を見つめ続ける。
「簡潔に教えて。仕事はなに?」
「船長だ」
「どんな船?いつ式を?」
時は1920年、舞台はマルタ共和国。7つの章に分かれた本作の第一章”しかるべき問題解決法とは”は、このような場面から始まる。ハンガリーの作家ミラン・フストの原作には章立てがない。監督のイルディコー・エニェディ(前作は『心と体と』)は、主人公の長い独白が続く原作に、「思考回路の道筋を作りたかった」と説明する。「章の見出しは、観客が落ち着いた瞬間、彼/彼女が経験したことを評価する瞬間、リジーとヤコブの曲がりくねった物語の中で新しい冒険の準備をするタイミングとして機能するように考えた」
なるほど。章ごとに異なるコンセプトを提示され、観客は気持ちを切り換えることができる。169分の長尺を一気に鑑賞するには適した方法だ。
レア・セドゥ演じるリジーは、男性監督が描けば正体不明な「他者」であろう。ヤコブの勝手な幻想による既視感に満ちた”ファム・ファタール”物語になっていたかもしれない。しかし、エニェディ監督の造形するリジー像は違う。笑い、嫉妬し、泣きもする。見事に血肉の通った女として実存する。真に意味をもつ人間に描出したのは、エニェディ監督の達成である。
監督も明言している通り、本作は「妻」ではなく「夫」の物語だ。常にヤコブの視点から展開し、観客もリジーの日常を窺い知ることはできない。終始、出ずっぱりのヤコブ役ハイス・ナバーは、屈強な海の男。海の上では、自信と勇気に満ち、大自然さえ制御可能と思われるほど判断力に優れた船長だ。が、陸に上がれば、最愛の妻という名の非合理な未知の航海を続けねばならない。
ヤコブとリジーの間に立ちはだかる裕福で洗練されたデダン(ルイ・ガレルが好演)は好対比となって存在する。規律と調和を重んじる船長は、デカダンな男に苛立ちを抱えながら何も出来ない。
舞台はマルタからパリ、そしてハンブルクへと転変する。コーネル・ムンドルツォ監督作『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』『ジュピターズ・ムーン』のハンガリー人撮影監督、マルツェル・レーブが切り取る映像は本作の主役とも言える完成度に達している。透明感溢れる自然光撮影は息をのむほど美しい。青い大海原に刻まれる白波は生命のようだ。活気ある港街の喧騒。暗闇での官能的な絡み。計算し尽くされた画角の中で、登場人物の内省まで映し出す奥行き、深度には恍惚としてしまう。
1920年当時は、海を制する者が世界を制していた時代だろう。船長というポジションにあるヤコブだが、海や陸の上でも”点”でしかない。無念さ、無力さを体現するオランダの名優ハイス・ナバーは、問題解決に向かって行動する強さと、脆さ、誠実さを併せ持つ難役を見事に演じ切っている。デンマークのマッツ・ミケルセンと並び、オランダにハイス・ナバー有り!と言われる日も遠くない気がする。
『私の20世紀』『心と体と』とも、省略話法が魅力だったエニェディ監督にしては、少々冗長なのが気になったが、主演2人の魅力、美しい衣装と意匠、奇跡のような映像美に救われた。
(大瀧幸恵)
2021 /ハンガリー/ドイツ/フランス/イタリア /169分 /PG12
配給会社:彩プロ
© 2021 Inforg-M&M Film – Komplizen Film – Palosanto Films – Pyramide Productions - RAI Cinema - ARTE France Cinéma – WDR/Arte
公式サイト:https://mywife.ayapro.ne.jp/
★2022年8月12日 (金)より、新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、ユーロスペースほか全国にて公開
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