監督:ヴァルディミール・ヨハンソン
脚本:ショーン、ヴァルディミール・ヨハンソン
製作:フレン・クリスティンスドティア、サラ・ナシム
出演:ノオミ・ラパス、ヒルミル・スナイル・グズナソン、ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン
山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリア。ある日、二人が羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。子供を亡くしていた二人は、"アダ"と名付けその存在を育てることにする。奇跡がもたらした"アダ"との家族生活は大きな幸せをもたらすのだが、やがて彼らを破滅へと導いていく。
思わず手を伸ばして、その空気に触れてみたくなるほど澄み切ったアイスランドの光景が画面から流れ出る。雪原を走る不穏な物音、数頭の野生馬たちが嘶く。吹き荒ぶ寒風、凍てつく大地。カメラは羊小屋に入って行く。 侵入者?と思しき者を一斉に見つめる羊たち。倒れる1頭の羊。羊たちのどよめきは収まらない。いったい何があったのか。微かにパイプオルガンが奏でられ、賛美歌が聴こえる。
画面は静謐のうちに大自然の気高さを表してやまない。
映画が開始してから10分間、台詞が一切ない。観客は眼前で起こる出来事を注視する。その没入館はエンディングまで続く。ヘンデル作曲「サラバンド」を聴きながらエンドクレジットを眺めつつ自問する。上映時間106分‥。今、目撃したものは何だったのだろうか。共有した時間は?本作を何と名付ければ?あまりの独創的な世界に呆然とするばかりだ。
『ミッドサマー』『ヘレディタリー/継承』など、作家性を重視した注目作を手掛けてきた「A24」。今回、放った矢は、本作が長編デビューとなる新鋭ヴァルディミール・ヨハンソン。第74回カンヌ国際映画祭ある視点部門で《Prize of Originality》を受賞したことからもわかる通り、極めて独創的である、と世界が認めた作品なのだ。脚本も担ったヨハンソン監督は、アイスランドの民話を織り交ぜている、と言う。舞台となるのは、アイスランドの人里離れた高地。主役は牧羊を営む若い夫婦だ。現実的な設定の中に、非現実的な要素が、巧みな調和を保ちながら存在している。
晴れ渡る大空の向こうに雪を冠した白い尾根が続く。羊小屋を掃除し、餌をやる夫。トラクターを運転する妻。一面の緑が広がる大地には牧羊犬がいる。家の窓から猫が外を眺めている。在り来りな日常描写。
「時間旅行が可能になったらしいよ」
食事中に夫が話しかける。
「 未来は知らなくていい。今が幸せだ」
「 過去に戻れるかしら?」
夫婦とも満足げな表情をしつつ、過去の話にふと顔を曇らせる。作中、登場する最初の台詞がこれである。監督は、夫婦が過去を引きずっているらしいこと、“幸せ”が主題である点を序盤で明かす。卓越した提示力だ。
非現実的なSF、ミステリー、サスペンス、人によってはホラーと捉えるかもしれない。観る人によって、自由な解釈を委ねた物語となっている。怖い印象がないのは、ノオミ・ラパス(子どもの頃アイスランドに住んでいたためアイスランド語で演技)の母性溢れる温かな表現に依るところが大きい。“異形のもの“を前に、身体中から愛情を発散するラパス扮するマリアは、明らかに幸せそうだ。
民話を読み聞かせる夫。甘美で多幸感に満ち、落ち着いた寝室の場面を観ると、「このままで十分、幸せではないか」と思ってしまう。幾度となくアップになる羊の瞳はイノセントな光を灯す。そして、宗教概念として、羊はサクリファイスの象徴である。羊たちの平穏を奪った原罪は、当然問われることになる。
今の幸せを守ろうとするマリアがとった行動、その代償はウクライナに侵攻したロシアを想起するのは飛躍し過ぎだろうか。着想時、監督が想定もしなかったであろう事態に、今、世界は揺れている。「平穏を奪った罪」は大きいのだ。
有りがちな主訴を押し付けない。拙速を回避した結末は、遠火で炙り出された紋様のように、小宇宙の不思議な味わいが映画の奥から揺らりと立ち昇る。
様々な思考が巡り、長く引き摺る映画である。今年、必見の注目作となろう。
(大瀧幸恵)
2021 年/アイスランド・スウェーデン・ポーランド/カラー/シネスコ/アイスランド語/106 分/R15+
配給: クロックワークス
提供:クロックワークス オディティ・ピクチャーズ
宣伝:スキップ
©2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK,
HELGI JÓHANNSSON
公式サイト:https://klockworx-v.com/lamb/
公式 Twitter:@LAMBMOVIE_JP 公式 Instagram:@lambmovie_jp #LAMB
★2022年9月23日(金)より、全国公開
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