監督:パブロ・ラライン
脚本:スティーヴン・ナイト
撮影監督:クレア・マトン
プロダクションデザイン:ガイ・ヘンドリックス・ディアス
ヘアメイクデザイナー:吉原若菜
衣装デザイン:ジャクリーン・デュラン
編集:セバスティアン・セプルベダ
作曲:ジョニー・グリーンウッド
キャスティング:エイミー・ハバード
出演:ダイアナ妃:クリステン・スチュワート、チャールズ皇太子:ジャック・ファーシング、アリステア・グレゴリー少佐:ティモシー・スポール、マギー:サリー・ホーキンス、ダレン:ショーン・ハリス
1991年のクリスマス。ダイアナ妃(クリステン・スチュワート)は、クリスマスを祝うために王族が集まるエリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスへ向かう。チャールズ皇太子との関係は冷え切っており、不倫や離婚がうわさされているにも関わらず、周囲は平静を装っていた。ダイアナは、外出しても他人からの視線を感じ、自分らしくいられる場所がないことに追い詰められていき、やがて限界に達した彼女は、ある決断を下す。
「実際の悲劇に基づいた寓話」
映画の始まりに示される言葉である。あなたは本作を御伽噺と見るか?裏に潜んだ教訓を寓意として読み取るか?解釈は自由だ、と監督のパブロ・ララインは観客に判断を委ねているようだ。「ダイアナの決意」との副題が、美的に昇華した寓話の趣きである。
ダイアナは皇太子妃となって以来、自身で決断したり、判断を下すことは許されなかった。身に纏う衣装には全て”〇日目の朝食””〇日目の礼拝””〇日目の晩餐”とタグが付けられた衝撃的場面。帽子、手袋、貴金属まで明確な指示がある。自分の人生なのに、「今日はこの気分♪」と着る服を決めることすらできない。
クリスマス晩餐会の前には体重を計る...。何かにつけ細かい決まりがある。自身の意思を通そうとしても、「伝統です」「習わしです」と返ってくるだけ。どんなに非合理的であっても従わなければならない。
そんなダイアナが唯一、自身の強い決意を表示した瞬間が、本作には描かれる。「ダイアナの決意」、これは監督の主訴を咀嚼した良い邦題だ。
ララインは、ナタリー・ポートマン主演『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』と同様、人生の”一定の時期”に絞って、人物像を描く手法に長けている。本作は1991年、クリスマス休暇の3日間を追うことでダイアナの人生を照射する。エピソード総浚い的な伝記にするつもりは毛頭なかったのだろう。人生の凝縮された3日間を、映画的に創出する人物の実存に潜り込む。6年後にダイアナは鬼籍に入るわけだが、エンディングでもそうした未来はクレジットされない。ララインが凡百のクリエイターとは異なる手腕を持っている証だ。
朝焼け、凍てつく澄み切った空気。静寂を切り裂くようにエリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスを目指し、数十台の軍用車両が走る。長閑な道を雉たちが軍用車に轢かれていく。整然と居並ぶ兵士たち。号令の下、大きな軍用庫から出てきた物は...。
一方、シャインブルーのポルシェ911タルガトップを颯爽と駆るダイアナ。その表情は冴えない。生家の近くだというのに、道を間違え彷徨っているのだ。遅刻を咎められるのは確実。道案内を求めた店では、ダイアナの姿を見るや周囲の視線が凍りつく。
「ここは何処ですか?私は何処にいるのでしょう?」
魂が彷徨するダイアナの哀切が強烈に立ち上がる幕開けだ。人生を左右する3日間の始まりに相応しい。轢かれた雉と、イングランド王ヘンリー8世王妃アン・ブーリンをキーワードにした脚本が秀逸だ。孤独と苦悩が人物の挙動を通じて浮き彫りにされて行く。2つのキーワードには、ダイアナが持つ儚さ、理不尽に打ち砕かれた人生の寓意が込められている。
脚本のスティーヴン・ナイト(『つぐない』『プライドと偏見』『アンナ・カレーニナ』など)は英国人だが、監督のララインはチリ、プロデューサーはドイツ、撮影監督はフランス人女性のクレア・マトン(『燃ゆる女の肖像』『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』など)、主演のクリステン・スチュワートは米国人である。そして、完璧な仕事ぶりを見せたヘアメイクは日本人の吉原若菜。ロケ地の多くは混乱を避けるためにドイツが選ばれた。
外国人スタッフらの醒めた視点が、繊細なダイアナの深部に冷静さと慎みをもって分け入る。艶やかなフィルム撮影が可能にした達成である。
伝統を重んじることを強要するチャールズ皇太子に毅然と対抗する意思は、摂食障害となってダイアナの心身を蝕む。噂話が無責任に拡散して行く王室。孤高を託つダイアナがウィリアム、ヘンリー王子たちと過ごす時間が愛しい。母性を発露しながら、実はウィリアムに頼っていたのだ。
「マミー!”おかしくなったら教えて”って僕に言ったよね?今、変だよ、マミー!出てきて!」
バスルームに籠城し、嘔吐し続ける母を諭すウィリアム。11歳の悲痛な叫びが胸を打つ。
クリステン・スチュワートは有名女優だけに、導入は”スチュワートがダイアナに扮している”認知が付き纏う。が、次第にスチュワートは消え、ダイアナにしか見えなくなっていることに気付かされる。視線の角度、髪の一筋にまで躍動する魂が刻まれ、ダイアナを体現する様は眩い光そのもの。
女王の侍従として、サンドリンガム・ハウスを仕切るグレゴリー少佐。死地を彷徨った境地にある者にしか得られないサジェスチョンをダイアナに与える。扮するティモシー・スポール(『英国王のスピーチ』『ハリポタ』シリーズなど)は、伝統を継承しつつ、老獪にして温かな情感を醸し出せる名優だ。
お妃付きのマギー役サリー・ホーキンス(『シェイプ・オブ・ウォーター』『パディントン』シリーズなど)もスポールに引けを取らない。ダイアナには唯一の味方であり理解者を、親密な表情と善良さで体現し、映画の良心となっている。
これらの人々や2人の王子が、ヒロインを回復させる可能性を孕み、本作は鮮やかな着地を遂げる。不合理の中にも希望を見出す示唆が現れるのだ。衣装と意匠、ヘアメイク、宝石類、什器類、家具調度品に至るまで細部に宿るディテールの本物感は垂涎ものだ。
また、「レディオヘッド」のギタリストであり、映画音楽も多く手掛けるジョニー・グリーンウッドが、登場人物の心象を巧みに表している。時にはジャジーに、典雅なバロックに、と自在な表現を用い、作品を豊かに彩り、忘れ難いスコアとなった。今年、見逃せない1本となろう。
(大瀧幸恵)
2021 年 | イギリス・ドイツ | 117 分 | 英語 | カラー | 4K ヨーロピアンビスタ | 5.1ch・7.1ch |
配給:STAR CHANNEL MOVIES
後援:ブリティッシュ・カウンシル 読売新聞社
©2021 KOMPLIZEN SPENCER GmbH & SPENCER PRODUCTIONS LIMITED
公式サイト:https://spencer-movie.com
#スペンサー Twitter:Spencerfilm2022
★2022年10月14日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷 他全国ロードショー
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