ランディ・ローズ (原題:RANDY RHOADS:Reflections of A Guitar Icon)

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監督:アンドレ・レリス 
脚本・編集:マイケル・ブルーイニン
出演:ランディ・ローズ、オジー・オズボーン、エディ・ヴァン・ヘイレン、ルディ・サーゾ、フランキー・バネリ、ジョージ・リンチ、ゲイリー・ムーア、ダグ・アルドリッチ、ジョエル・ホークストラ、ブルース・キューリック、ドゥイージル・ザッパ/ナレーション:トレイシー・ガンズ 
                      
1970年代から1980年代にかけて活躍したギタリストのランディ・ローズ。当初アメリカでは全く相手にされなかったクワイエット・ライオットを経て、1980年にオジー・オズボーン率いるオジー・オズボーン・バンドに起用され、華麗なテクニックと甘いルックスで注目を浴びるようになる。しかし1982年、飛行機の墜落事故により、この世を去る。

クワイエット・ライオットの日本デビューはよく覚えている。ロン毛をなびかせた美青年たちのロックバンド…。「ミュージック・ライフ」誌のグラビアページで目にした記憶がある。‘70年代後半、クィーンの人気はまだ衰えていなかった。コテコテのアメリカンなバンドなのに、ボーカルだけはフレディ・マーキュリーのイメージを踏襲しているのがチグハグで可笑しかった。卑近な例でで恐縮だが、「ミュージック・ライフ」誌は東郷かおる子編集長の志向性に合わず、殆ど読んでいなかった。したがってクワイエット・ライオットの後追いもしていなかった。

だが、ランディ・ローズは後にオジー・オズボーン・バンドのギタリストとして強烈な印象があった。超絶技巧、大音量、耳残りの良いリフ、圧巻のギターソロ…♪いつまでも聴いていたいと思わせてくれる数少ない米国のギタリストだった。エディ・ヴァン・ヘイレンに強いライバル心を抱いていたことを初めて知った。同世代だったのか。エディもこの世を去った…。本作は、ランディの25年の短い生涯を、自身が結成したクワイエット・ライオット時代を中心に熱く振り返るドキュメンタリーだ。

クワイエット・ライオットについて、初めて知る情報が溢れ出てくるため、メモを取る手が忙しかった。ロックバンドとの認識だったが、ヘビメタにカテゴライズされていたらしい。レコードデビューできたのは日本だけで、本国ではリリースされなかったと知って驚いた!日本で大々的に売り出されたのだから、米国でもさぞや人気バンドなのだろうと思い込んでいたからだ。生存しているメンバーが語る。
「ブッダレコードと契約したものの、日本限定発売。 本国の契約は白紙さ。最初のレーベルは破産するし。で、日本に売り込みをかけた。プロデューサーは金にしか興味のない奴だった。日本人は曲を聴かず、ジャケットで買うんだそうだ。だからルックスも重要なんだと知ったよ」
お見通し!日本ではその頃から“ジャケ買い”文化があったのだ。

それにしても、ランディをはじめとした高い演奏技量を持つバンド、クラブやフェスでも圧倒的な集客力を誇るクワイエット・ライオットが、米国でレコードデビューできなかったというのは信じ難い。数え切れない程のデモテープを送り、有力者の前でも演奏したが、契約には至らない。ショービジネス界はそれ程に厳しかったということか。

フェスに出れば、ヴァン・ヘイレンとかち合い、どちらがヘッドライナーを務めるか揉める。大抵は、レコードデビューしているヴァン・ヘイレンが優先されてしまう。レコード会社と契約を結んでいるかは成功への重要な要素なのだ。世に出ないと意味がない。
契約を結ぼうと焦るあまり、クワイエット・ライオットが迷走する時代は悲しい。当時、ブームだったダンサブルな曲を作り、若者たちにウケを狙うも、明らかにバンドの音楽性とは異なっていた。

メンバー間の軋轢も生まれる。音楽、活動分野の方向性、マネージメントが悪いのか。ランディはヴォーカルのケヴィン・ダブロウの元カノと接近。イケメンでモテモテなのに、恋愛には奥手なタイプだったというランディの感情表現が愛おしい。
母親が音楽学校を開き、女手一つで育ててくれたせいか、ランディはギター教室の授業を大切にしていた。生徒から「エディ・ヴァン・ヘイレンのリフを教えて」と無邪気に頼まれると、家で練習までして教えたという。最大のライバル。気分の良いはずはなかったのに…。ランディの人柄が伝わる逸話だ。

クワイエット・ライオットが迷走する間、ブラック・サバスを脱退(解雇?)したビッグネームのオジー・オズボーンから声がかかる。自らのバンドのギタリストを探していたのだ。迷った末、ランディはロンドンへ飛び立つ。ランディもクワイエット・ライオットのメンバーも「戻る」つもりでいたらしい。が、オジー・オズボーン・バンドでのランディは光り輝いた。驚異的なカリスマをフロントマンとし、魅惑的なギターで並列する。アルバムは世界で700万枚以上の大ヒット、その後の世界ツアー。

英国滞在中も、クラシックを学び、もっと技術を磨きたいと精進し続けていたランディ。母に捧げた曲の哀切極まるメロディは、 今も多くのギタリストがカバーする。超絶技巧の上にクラシックスタイルを伴った多彩な音色。’81年にはギタープレイヤー誌のベストギター新人賞を受賞する。世界がランディのギターに魅了されたのだ。
ロックスターは、不慮の事故で亡くなることが多いのは不思議に思っていた。殊更、ランディは絶頂期の25歳である。存命であれば、クラプトンのように、長く愛されたミュージシャンの巨星でいたことだろう。

本作の貴重なライブ映像を見るだに、あらためてその偉大さに唸る。後進を育てることにも熱心で、スキャンダルはなく清心なイメージのまま逝ったランディ。 オジー・オズボーンとの出会いは最期の光明か。未だ子どものようなオジー・オズボーンとの対比が、ランディを大人に見せる。ロックファンならずとも見応えのある良質なドキュメンタリーだ。
(大瀧幸恵)


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2022年/アメリカ/英語/カラー/シネスコ/5.1c/92分/字幕監修:上田慎也(ヤング・ギター) 
提供:ニューセレクト 
配給:アルバトロス・フィルム 
後援:文化放送
©RANDY RHOADS: LEGEND, LLC 2022 
公式サイト:https://randy-rhoads.jp/
★2022年11月11日(金)より、新宿シネマカリテ、渋谷シネクイントほか全国公開


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