あちらにいる鬼

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監督:廣木隆一
脚本:荒井晴彦
原作:井上荒野「あちらにいる鬼」(朝日文庫)
出演:寺島しのぶ 豊川悦司 / 広末涼子、高良健吾 村上淳 蓮佛美沙子 佐野岳 宇野祥平 丘みつ子、夏子 麻美 高橋侃 片山友希 長内映里香 輝有子 古谷佳也 山田キヌヲ

1966年、講演旅行をきっかけに出会った長内みはると白木篤郎は、それぞれに妻子やパートナーがありながら男女の仲となる。もうすぐ第二子が誕生するというときにもみはるの元へ通う篤郎だが、自宅では幼い娘を可愛がり、妻・笙子の手料理を絶賛する。奔放で嘘つきな篤郎にのめり込むみはる、全てを承知しながらも心乱すことのない笙子。緊張をはらむ共犯とも連帯ともいうべき3人の関係性が生まれる中、みはるが突然、篤郎に告げた。「わたし、出家しようと思うの」。

「全員小説家」。観ている途中、そして鑑賞後もこの言葉が浮かんだ。本作の主要登場人物のモデルとなっている、瀬戸内寂聴、井上光晴、その妻。3人とも小説家なのだ。もっとも、妻が夫・井上光晴の名義で短編を書いていたことは本作で初めて知った事実だが…。原作者の井上の長女・井上荒野もまた小説家である。原一男監督による井上光晴のドキュメンタリー『全身小説家』をもじった訳ではないけれど、映画の内容から考え、副題に適しているような気がしたのだ。

瀬戸内寂聴、埴谷雄高らの証言も登場する『全身小説家』は、女からすれば“稀代の策士”井上光晴の〈虚構と実像〉に鋭く迫ったドキュメントと一部ドラマを交えた渾身作だった。全国で文学伝習所を開き、生徒たちを口説いて寝まくった様子、埴谷雄高に「嘘つき光ちゃん。嘘をつかなければ生きて来られなかった」と評された場面などを通し、虚実含めたフィクションの小説家たる井上光晴の「周囲を幸せにする力」を描き出していた。

個人的には、井上光晴は作家というよりも、三島由紀夫の自害や全共闘事件といった世相を揺るがす事件の評伝、民族差別、戦争体験、天皇制などを突いてきた時評家といったイメージがある。作家や時評家に聖人君子的傾向は求めない。瀬戸内寂聴も文学の道を極めるため、娘を置いて出奔した。関係した男たちの中で、井上光晴とは「共犯」のような関係性を築いてきたのか。その答えが本作にあるとは思えない。「嘘つき光ちゃん」と同じく、瀬戸内寂聴も虚実皮膜の中を生き抜いた人だったろう。井上は日本共産党を除名後、特定の政治党派に属することはなかった。瀬戸内寂聴は仏門に入りながら、飲酒や殺生の食事を嗜み、作家業にも勤しんだ。2人とも究極の自由人だったのだ。

半世紀近くに及ぶ原作を、時間軸を往縦させながら2時間の物語に収斂するのは至難の業だったろう。監督に廣木隆一、荒井晴彦の脚本、主演・寺島しのぶ、井上光晴役を豊川悦司という布陣は、観る前から期待を煽った。寺島しのぶが実際に剃髪に挑むシーンは、寺島の晴れ晴れとした美しい表情、NGは出せないといった現場の緊迫感が感じられる名場面として忘れ難い。本作のハイライトに相応しい神々しさがある。

が、全体を通して何か表層を滑っている感が否めないのはなぜだろう。俳優陣は熱演している。時代考証や当時の風俗描写にも抜かりはない。「昭和」の文脈が確固として流れている。物語が生起する臨場感と極私的な空気の醸成は巧みだ。
ヒントになるか分からないが、豊川悦司がインタビューでこんなことを答えている。
「井上光晴さんという人物と、自分とのすり合わせに時間がかかりました。言い方が悪いかもしれませんが、原作の白木篤郎は男としてあまり好感の持てるタイプの人ではなかった。荒井晴彦さんの脚本を読んで、台詞は全て覚えてはいるのですが、なかなか自分の中に馴染んでこなかったという感じです」
登場人物たちの慟哭や嫉妬、愛憎、泣いたり喚いたり安堵したり、といった感情表現、スクリーン上で起こる出来事が、観客に“馴染んでこない”というべきか。

互いの深い場所に触れる瞬間が、もっとあってよかったのではないか。人々との関係性が希薄で深化せず、物語の畝りに欠けるのだ。

小説も映画も嘘の塊りである。暗黙知の上で著作物と向き合う中、感動するものとそうでないものがあるのは致し方ない。創り手は命がけで対象へ迫っているか?仏像に魂を込めるように、著作物に生命を吹き込んでいるか?観客には伝わるものだ。それは、妙に軽滑りしたエンディング曲まで続いた。力作、良作には違いないが、響いてこなかったのは残念である。
(大瀧幸恵)


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2022/日本/139 分/5.1ch/シネマスコープサイズ/カラー/デジタル
製作:「あちらにいる鬼」製作委員会(カルチュア・エンタテインメント、ハピネットファントム・スタジオ、ホリプロ、MBS)
製作幹事:カルチュア・エンタテインメント
企画・制作:ホリプロ
制作協力:ダーウィン
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
©2022「あちらにいる鬼」製作委員会 R15+
公式サイト:happinet-phantom.com/achira-oni
@achira_oni
★2022年11月11日(金)より、全国公開

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