ビー・ジーズ 栄光の軌跡 (原題:The Bee Gees: How Can You Mend a Broken Heart)

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監督:フランク・マーシャル
製作:ナイジェル・シンクレア、ジーン・エルファント・フェスタ
脚本:マーク・モンロー
出演:バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブ、アンディ・ギブ、エリック・クラプトン、ノエル・ギャラガー(オアシス)、ニック・ジョナス(ジョナス・ブラザーズ)、マーク・ロンソン、クリス・マーティン(コールドプレイ)、ジャスティン・ティンバーレイク、ピーター・ブラウン、ヴィンス・メローニー、ミカエル・ライリー、ルル、アラン・ケンドール、イボンヌ・ギブ、ビル・オークス、デニス・ブライオン、ブルー・ウィーバーほか

兄のバリーと双子の弟ロビン、モーリスのギブ3兄弟を中心に結成され、長きにわたって活動してきた「ビー・ジーズ」。時代が移り変わっても、「恋のナイト・フィーヴァー」「愛はきらめきの中に」など数々の名曲を世に届け続けてきた。

ビーチ・ボーイズやビートルズ並みに評価されていい!と思っていたグループの偉大さを強調してくれた名プロデューサー、フランク・マーシャルが監督した嬉し泣きするドキュメンタリー!世代的には何といっても、数え切れないほど観た『小さな恋のメロディ』サントラが忘れ難い。「メロディ・フェア」「若葉のころ」「イン・ザ・モーニング」「ラブ・サムバディ」…。嗚呼、胸が熱くなる。映画と同世代、12歳のときめきは革命を齎した。ビー・ジーズの楽曲なしには成立し得なかった映画だ。

本作は、ギブ兄弟がマン島で生まれてマンチェスターに引っ越し、移住先のオーストラリアでレコード・デビュー。帰英後は、敏腕マネージャーにより国際的に〜といった逸話総ざらい的正攻法の構成だが、驚くのはアーカイブ映像の豊富さ。見逃す手はないほど貴重である。これはビー・ジーズ家族の全面的協力の賜物だ。白黒ファミリースナップ、未公開のホームムービーのおかげで、プライベートなビー・ジーズ・ヒストリーを辿ることができる。初期のデモテープや未発表の⾳源を発⾒できたのは音楽史としても素晴らしい功績ではないか。

また、クリス・マーティン、マーク・ロンソン、ニック・ジョナス、エリック・クラプトン、ジャスティン・ティンバーレイクら、豪華証言人が口々に讃えるビージーズの魅力、これが皆、的を得ているのだ。
「あのサウンドは買おうったって買えるものじゃない。楽器は真似できるが声はダメ。兄弟が揃って歌えば、唯⼀無⼆だ」
と語るノエル・ギャラガーの言葉が象徴している(←あんたら兄弟はケンカ別れしたけどね。だから余計に分かるのか…)。

ともあれ、ギブ三兄弟は経済的に貧しい環境で育ち、特別な音楽教育を受けたわけではないことは確かなようだ。親に贈られたギターを手にする兄弟の写真が何とも嬉しそう♪長男バリーを中心として独学で作曲し、揃って歌えば自然とハーモニーになった。バリーの艶のあるヴォーカル、高音域のロビンに双子のモーリスが重ねる…。9歳の時から完璧だったのだ!50年を超える兄弟サウンドが誕生した瞬間。奇跡というほかない。

「有名になろう」野心を抱く長男バリーを両親も支援した。父がマネージャーとなり、オーストラリアへ渡る。アルバムを1枚出した後、‘67年に帰英。音楽業界へ挨拶に回るも反応はなし。ビートルズに憧れていた家族は、父がブライアン・エプスタインに出した手紙が、エプスタイン自身の目に留まり、オーストラリア⽣まれのロバート・スティグウッドにふった。このロバートとの出会いがビー・ジーズの運命を変えたのだ。当時はクリームのマネージャー だったとは知らなかった。
「僕ら専属だと聞いていたのに…。見捨てられた気がした」
と語るエリック・クラプトン。豪快で奇人と呼ばれたロバートは、ビー・ジーズの親代わりになった。

ロバートの売り込みが奏功し、"最高のハーモニー"は徐々に注目を集める。TVのバラエティ番組などで談笑する草創期のギブ兄弟が楽しい。この頃のアーカイブ映像は未だ白黒だ。ギターとドラムの2人が加入し、「ミスタージョーンズ NY炭鉱の悲劇」をリリースするや、英米で大ヒット。未だに陳腐化しない名曲だ。米国のアトランティックレコードと契約するため渡米。 オーティス・レディングに憧れるも他界し、共演は叶わなかった。ソウルフルなテイストは、ギブ兄弟のこうした志向性から来ていることが分かった。

ドラッグで早逝したが、この時期、兄弟に付いて回っていた幼い四男アンディのあどけない笑顔。行く末を知っているだけに、兄弟の絆が愛おしくなる。
この年、ロンドン、サヴィルシアターでのコンサートに、ポール・マッカートニーと恋人ジェーンアッシャーが来た時の兄弟は明らかに紅潮している。
「5ヶ月前までファンだった人と、今は一緒にパーティだよ!」

人気は絶好調 。「マサチューセッツ」も売れた。 ロビンのハイトーンが透明感と哀愁に満ち、 別格に美しいメロディだ。息の合うグループは3週間で1枚レコーディングし、年3枚 のアルバムというペース。欧州ツアーは大成功。どこへ行っても歓迎の嵐で、若者たち群衆が車の屋根に乗る映像はスゴい!ちなみに、この頃の兄弟はロールスロイスを6台所有していたそう。当然、天狗になり、 バリーとロビンがヴォーカルの主導権を巡って諍いが起きる。三つ子と言われた兄弟は2年の空白期間を迎える。

その間、ブライアン・エプスタインが死亡。 ロバートがビー・ジーズを連れ独立した事務所の目玉は、 「ロンリーデイズ」 「傷心の日々」。別離と傷ついた兄弟の意識は、そのまま楽曲に反映された。
「兄弟でなければ再結成はなかった」
というのも頷ける。ビー・ジーズが失意の時、マイアミで録音しては?と誘ったのが、依存症から脱しマイアミでリハビリしていたクラプトンだという逸話も面白い。義理堅いロバートはクラプトンとも繋がっていたのだ。音楽シーンは変化の兆しを迎えていた。ソウルサウンドを信奉する兄弟は、ファルセットヴォイスを研究。 ビー・ジーズの新境地を開いた。ビルボードにダンスチャートが新設された程、ゲイカルチャーはブームとなるも、当時は非寛容な時代。ゲイカップルに酒を売らない法律まで施行された。

蘇るのが、これも世代どストライクだった『サタデー・ナイト・フィーバー』。「ステイン・アライヴ」ほか、‘70年代後半はディスコサウンドが世界を席捲した。‘77年には、マイアミに憧れのプール付き豪邸を建て、家族を呼び寄せた。どんどん増えていく大家族写真は笑える。
が、ディスコブームの巨大産業化と、‘79年夏の反ディスコ運動イベントが、一つの時代が終わることを予兆した。

真の才能を持ったビー・ジーズは不死鳥だ。逆⾵の時代でも、ソングライティング能力を存分に発揮し、バーブラ・ストライサンドに「ウーマンインラブ」、 ディオンヌ・ワーウィック「ハートブレイカー」、ダイアナ・ロス「チェィン・リアクション」、ケニー・ロジャース&ドリー・パートン「アイランド・イン・ザ・ストリーム」、セリーヌ・ディオンには「イモータリティ」など、ジャンルを問わず楽曲提供し、大ヒットに導いた。

2017年、レコーディングアカデミーの壇上で、トラボルタが「私の人生を変えた人」とバリーを紹介する場面は感動的だ。三兄弟のうち存命しているのはバリーだけなのだ。モーリスは‘03年に手術合併症で、ロビンは癌により、‘12年に死去している。
マイアミに住むバリーは呟く。「出発は作曲だった。弟たちがいないなんて信じられない。弟たちが戻るなら成功なんていらない」

ギブ兄弟は、全世界で2億2千枚を超えるアルバムを売り上げ、書いた曲は1100曲、全英・米No.1ヒットが20曲。とてつもない偉業だ。バリーはグラストンベリー・フェスにソロで出演し、若い世代にも大人気☆ファルセットヴォイスは健在だ。沢山の思い出を有難う!
(大瀧幸恵)


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2020年/アメリカ/英語/カラー/111分/⽇本語字幕:⼤渕誉哉/字幕監修:吉⽥美奈⼦
© 2020 Polygram Entertainment, LLC – All Rights Reserved.
配給:STAR CHANNEL MOVIES
公式サイト:https:// thebeegees-movie.com
★2022年11月25日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかにて公開


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