マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説 (原題:QUANT)

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監督:サディ・フロスト『ドラキュラ』(出演)『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』
プロダクション・デザイナー:トリニティ・トリスタン『テムズに火をつけて』『蝿の王』
撮影監督:ジョン・ブレザートン
出演:マリー・クワント、ケイト・モス、ヴィヴィアン・ウエストウッド、デイヴ・デイヴィス(ザ・キンクス)、ピート・タウンゼント(ザ・フー)、ポール・シムノン(ザ・クラッシュ)

第2次世界大戦後の荒廃したロンドンで、若者たちは自由に対して憧れを抱いていた。優雅で女性らしいスタイルの、フランスのオートクチュールになじめなかったマリー・クワントは、1955年にロンドン・チェルシーのキングス・ロードに初のブティック「BAZAAR」をオープンする。そして1960年代初めにクワントが発表したミニスカートは、世界中で大ブームを巻き起こす。

「スウィンギング・ロンドン」…、なんと麗しい響きだろう。チェルシーのキングス・ロード。1955年に開店したロンドン初のブティックが、旧い慣習や価値観を一変させ、世界の景色を変えることになるのだ。冒頭のアーカイブ映像を観ているだけでワクワクする!ビートルズが登場する10年前である。カルチャーの震源地にいたのがマリー・クワント。黒地にデイジー・マークの化粧品、絵具箱のようなパレットにアイシャドウやチーク、口紅が並んだアイテムを、日本の女子なら持っていたことがあるはずだ。事実、‘80年代時は世界の売上の大半は日本だったという。

ツイッギーのミニスカートやホットパンツなどの印象も強烈だ。マリー・クワントが考案するまで、ファッションの主流はフランスだった。オートクチュールが発信するのはウエストのくびれを強調し、胸を突き出すスタイル。ストッキングにハイヒール。上流階級だけに閉じられた世界。
「2年遅れで侯爵夫人のを取り入れるより、今を生きる若者向けを作りたい」
もっとカジュアルでセクシーな服を。シンプルなデザイン、膝上20cm、フラットシューズだから動きやすい!走るモデルたちの動画が眩しい☆マリーは女子たちの心と身体を解放したのだ。
保守的で伝統を重んじる英国なのに、革新的なカウンターカルチャーが生まれるのが面白い。豊富なアーカイブ映像が伝える当時の熱狂、 自由、 破壊、革命を備えた精神が世界を魅了したことが分かる。マリーには欲求を予測する能力があったのだろう。

ウェールズのペンブルックシャーで生まれたマリー。自然豊かな環境で走り回り、弟とクリケットをするおてんば娘だったという。両親は共に教師、オシャレな父母の写真が素敵だ。マリーは幼い時から目力が印象的な女の子。戦中は疎開先で自由を満喫、男の子たちと遊んだけれど、お人形遊びや服作りも大好きだった。
「母が選ぶどんな服も似合う可愛い従姉妹が羨ましかった。 自分は違った。 四角い顔で細くないから女の子らしくないと3歳の時から分かってた」
制服のスカート丈を短くし、動きやすくアレンジ。13歳の頃、既に革新性は芽吹いていたのだ。

マリーのカラフルで独創的なスタイルは、ロンドンのアートカレッジで培われた。カレッジでは運命の人と出会う。そのイケメン写真には目が釘付けになった!190cmの長身痩躯、貴族階級で遊び人、お洒落な縦縞スーツを着こなすアレキサンダー・プランケット・グリーン。後の夫である。動画を見る限り、低音ボイスに完璧なキングス・イングリッシュ・アクセント。女の子にモテない訳がない。ウェールズから出てきたマリーには別世界の人。アレキサンダーはマリーの創造性に惹かれた。
当時の写真を見ると、マリーは目と目が離れたファニーフェイス的可愛らしさ。煙草の吸い方も絵になるアレキサンダーと、カブリオレのスポーツカーに乗った姿はお似合いである。

上流社会にコネがあり、社交的なアレキサンダーはビジネスのパートナーとして打ってつけだった。マリーがデザインに専念できるよう、渉外、広報担当として支え続けた。キングス・ロードにファッションやアート、音楽関係者など最先端の人々が集うコーヒー・バーがあった。オーナーはや若手弁護士のアーチー・マクネア。新潮流を嗅ぎつけたアーチーは、取り分けオシャレなマリーとアレキサンダーにファッション事業を提案する。持ち前のビジネスセンスで、アーチーもまたマリーになくてはならぬ人物となる。三者の絶妙なバランスは、神からのギフトではないだろうか。

周囲には子どもの遊びと思われたブティック《BAZAAR》は、開店初日から行列 。試着もできない程の混雑。当時の報道も大変な熱気ぶりを伝える。エプロンドレスやメンズ生地を使用したチュニックもマリーの発明だと知った。
店内のウィンドウディスプレイ、配色センスは抜群だ。飛ぶように売れたのはカラータイツ。それまではストッキングしかなかったため、舞台衣装の業者に発注したという。先駆性、斬新なアイデアによる服たちの人気は勢いを増し、在庫が無くなる程だった。

ミニスカートの命名はマリー。車のミニクーパーが好きだったからだそう。エリザベス女王までミニスカートを穿いていた。ちなみに、エリザベス女王はマリーと同い歳。歳を5歳ごまかしていたのだ(笑)。アレキサンダーより年上とは言えなかったのかもしれない。

マリーのショーはモデルがランウェイを踊りながら見せる。これはアレキサンダーの発案。ヴィダル・サスーンのショートヘアも軽快だ。黒人モデルを起用したのもマリーが最初。楽しげで活気あるショーの雰囲気が伝わる。ライセンスビジネスを考案したのはアーチー。マリーはライセンシーの管理が不可欠として消極的だったという。自身のオリジナリティを大事にしたかったのだろう。
だが、最愛のアレキサンダーが‘90年に56歳で亡くなってからは、情熱を保てなくなり、日本の会社に全権譲渡したのだから、ライセンスビジネスはマリーを経済的に救ったとも言える。

流行は変遷する。あれほど隆盛を極めたマリーのブランドも、‘70年代はヒッピー文化が台頭。着古した服やタイダイ柄(絞り染め)、裸足にジーンズといったスタイル。未来志向のマリー・クワントはトレンドではなくなったのだ。ポンド下落し物価は上昇、世相一変 。ビートルズは解散した…。そんな中の
「日本との絆は深い。日本女性は私に共感してくれた。日本での人気は高止まり。買い物を楽しむことを日本から学んだ」
と語るマリーの言葉は、日本人として素直に嬉しい。
サリー州で悠々自適の隠退生活を送るマリー。同い歳のエリザベス女王が逝去した今、何を振り返ったのだろう。

監督はサディ・フロスト。女優、プロデューサー、ファッション・デザイナー、作家でもある才人だ。元夫のジュード・ロウ、ユアン・マクレガーらと製作会社を立ち上げた。マリーを語るに相応しいクリエイターである。
(大瀧幸恵)


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2021 年/イギリス/英語/90 分/ビスタサイズ/映倫区分 G
協力:マリークヮント コスメチックス
後援:ブリティッシュ・カウンシル
配給:アット エンタテインメント
©2021 MQD FILM LIMITED. ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:https://www.quantmoviejp.com/
【Instagram】【Twitter】【Facebook】@ quantmoviejp
★2022年11月26日(土)より、Bunkamuraル・シネマほかにて公開

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