ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ (原題:The Electrical Life of Louis Wain)

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監督・脚本: ウィル・シャープ
脚本:サイモン・スティーブンソン、ウィル・シャープ 
原案:サイモン・スティーブンソン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、ルイス・ウェイン クレア・フォイ、エミリー アンドレア・ライズブロー、トビー・ジョーンズ、
ナレーション:オリヴィア・コールマン

イギリスの上流階級に生まれたルイス・ウェインは、父亡きあと一家を支えるために、ロンドンニュース紙でイラストレーターとして活躍する。やがて、妹の家庭教師エミリーと恋に落ちたルイスは、身分違いだと大反対する周囲の声を押し切り結婚するが、まもなくエミリーは末期ガンを宣告される。庭に迷い込んだ子猫にピーターと名付け、エミリーのために彼の絵を描き始めるルイス。深い絆で結ばれた”3人”は、残された一日一日を慈しむように大切に過ごしてゆくが、ついにエミリーがこの世を去る日が訪れる。ルイスはピーターを心の友とし、ネコの絵を猛然と描き続け大成功を手にする。そして、「どんなに悲しくても描き続けて」というエミリーの言葉の本当の意味を知る―。

「いつか猫を飼うのが当たり前の世の中になるわ」
英国ヴィクトリア朝時代、陽だまりの中で寄り添う夫婦。揺曳する光彩。
「消える日が近いと思うと耐え難いわ」
病んだ妻に、夫は告げる。
「ピーター(猫)と暖炉のそばで遊ぶのは人生最良の日々だった。 君が世界を美しくしてくれた。手遅れになる前に君へ感謝を伝えたい」
「 私じゃないわ。世界は美しいと貴方が教えてくれた。苦しくても世界は優しさで満ちてる。それを捉えて分かちあって。あなたはプリズム、光線を屈折させられる人よ」
最期が近づく予兆を感じた妻は、画家の夫へ“描き続けるように“という祈りを流麗な美しい言葉で言い残したのだ。

監督のウィル・シャープは、英国人の父と日本人の母を持ち、8歳まで日本で育った36歳。未婚か既婚か、私生活については知らないが、36歳の若さで夫婦の情愛を慈しみ深く描くのが抜群に上手い。初見は、本作のナレーターを務めるオリヴィア・コールマン主演のTVシリーズ「ランドスケーパーズ 秘密の庭」だった。このドラマも一風変わった実在の英国夫婦が、フランスで暮らす話。デヴィッド・シューリスとオリヴィア・コールマンの、外から見れば常軌を逸した生活ぶりを、いとも穏やかに慈しみ深く描いて出色のドラマであった。

おそらく作家カズオ・イシグロのように、英国文化で育ち、日本語を使う機会は少ないに違いないシャープ監督。日本映画の影響が、本作に如何ほど反映されているかは知る由もない。が、2本を観た限りでは、小津安二郎や成瀬巳喜男監督らが描いた、昭和・戦前の夫婦が持つ細やかな佇まいや情緒を思わせる。慈しむ想いはリリシズムと溶け合い、映画を一層美しく彩る。瑞々しい臨場感でドラマが立ち上がり、誰もが共振出来る普遍性を得た。

今回、シャープ監督が題材にしたのは、ヴィクトリア朝時代に実在した画家ルイス・ウェイン。19世紀の社会通念は現在とは大幅に異なり、生きた人々の価値観や世界観は現代人とは乖離することが、様々な局面で丁寧に透徹した眼差しで描写される。

冒頭でご紹介した台詞に驚く方もいるだろう。当時の猫は、動物の中でも“ネズミ退治“程度に考えられていた。ペットの主流は圧倒的に犬。猫は蔑みの対象だったらしい。
「猫をペットに?あなた大丈夫?」
とルイスに対して訝しむ場面もある。そんな猫の愛らしさ、賢さ、独特の美といった“価値を発見“し、高めたのがルイスだと言われている。ルイスが生涯、点し続けた好奇心の灯は才能の滋養となり、社会変革を齎したのだ。

捨て猫を拾った妻、重い病に罹患し、子どもは望めない。ピーターと名付けた猫を家族同様に可愛がった妻。妻のためにルイスは仕事を休んで介護をし、妻だけのためにピーターの絵を描き続けたのだ。妻から、大手新聞社に持ち込むことを勧められても気が進まなかったルイス。当時は写真が台頭し始め、新聞紙面や雑誌は写真で覆い尽くされるようになっていた。画家たちの仕事が減っていたのは、ルイスが新聞社に通告された通り、事実だった。

ところが、ルイスの描く猫は、擬人化され二足歩行。人間のように食事をしたり、競馬を見たり、とにかく可愛い!と発表するやいなや大人気となった。絵本や挿絵、絵葉書が多く流通し、飛ぶように売れたという。夏目漱石の「吾輩は猫である」に登場する猫の“絵端書“も、ウェインの手によるものではないかと言われている。

本来なら、ルイスは著作権だけで巨万の富を築いていただろう。世事の決まりごとに疎いルイスは、版権まで売り渡してしまった。実家への仕送り、借金返済のため、貧窮した生活を送ることになる。そんな清貧の日常を、監督は憑かれたような話法で、ひたひたと語り、観る者を烈しく戦慄せしめる。

家庭教師だった妻との身分格差の結婚からして、ルイスの人生は波乱含みだった。当時の社会通念・価値観からすると、「忌まわしい結婚!」と噂され、社交界から締め出されるほどのスキャンダル。5人の妹たちが1人として嫁ぐ縁に恵まれなかったのも、長兄の結婚が災いしたという描写もある。妻との死別、妹やルイスが精神疾患を発症するなど、ルイスとその家族は坂を転げるように階級から滑り落ち、社会から孤立していく。

中盤以降は、胸を締め付けられるような逸話が続くが、ルイスの純粋さ、奇行な面までを表情、声、身体全体から醸し出すベネディクト・カンバーバッチの演技は、別次元のようである。名演といった言葉が陳腐に思えるほどルイス・ウェインそのものなのだ!両手を素早く動かして描く姿も吹き替えなし…。美を目の前にした人間の迫力を描くという真実が、説得力をもって胸を打つ。固有の肉体が長い歳月の設定を超えることで"役者の映画”としての凄みも堪能できる。
魂の高貴さと孤独を暗色のビロードのような艶気で体現した。孤高画家の存在を小さな染みとして画面に刻みつけ、その染みがどう広がりどんな形を成すのか、じっと目を凝らしてみよう。カンバーバッチでしか表現し得ない破格の映像美学が拡がる。

感傷を敢えて排した監督の演出意図が素晴らしい。悲惨な場面でも淡々と、ユーモアさえ滲み出す話法に感服した。今、思い出しても胸が熱くなるほど名場面の連続である。贅肉のない語り口を観客に手渡してゆく。
撮影は、「ランドスケーパーズ 秘密の庭」や『パディントン』シリーズのエリック・ウィルソン。英国の四季の移り変わり、鮮やかな色彩の美しさには意味をのむ。屋内外の光と影を克明に映し撮った撮影技法の見事さ。
精神疾患を抱えた人物の脳内までも描き出す独創性は、シャープ監督との完璧な調和あっての達成だろう。ドラマティックなカメラワークで描かれた映像は、見る者の涙腺を刺激してくる。

衣装、メイク、美術セットもヴィクトリア朝時代を精緻に再現して余すところない。雄大にして神秘的な環境が収められ、力強さと繊細さが同居したあらゆるショットに引き込まれながら「この映画は本物だ」と確信を深めずにいられない。今冬、絶対お薦めの名作が登場した。
(大瀧幸恵)


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製作年2021/ 製作国イギリス/ 上映時間111分 /英語/111分/カラー/5.1ch/スタンダード
配給:キノフィルムズ
提供:木下グループ
©2021 STUDIOCANAL SAS - CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION
公式サイト:https://louis-wain.jp/
★2022年12月1日(木)より、TOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開


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